大阪が都だった時代をご存じだろうか。国立病院機構大阪医療センター(大阪市中央区)の建て替えに伴い、発掘調査を実施してきた大阪市教育委員会と大阪文化財研究所が3日、現地説明会を開き、後期難波宮跡で初めて確認された役所の建物跡などを公開した。8世紀後半は平城京と後期難波宮のふたつの都が並び立っていた時代で、首都の平城京に対し、後期難波宮は副都の役割を担っていた。海に開けていた副都難波宮の役人たちは、どんな視点や発想で仕事に取り組んでいたのだろうか。 ■THE PAGE(ザ・ページ) - 気になるニュースをわかりやすく https://thepage.jp/