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ブックマーク / fujipon.hatenablog.com (10)

  • ある個人サイトの「404 Not Found」と「インターネットで死ぬ」ということ - いつか電池がきれるまで

    toya.hatenablog.com fujipon.hatenadiary.com 雨宮まみさんの訃報を知って、僕は、二階堂奥歯さんのことを思い出しました。 雨宮さんが亡くなられた原因は自宅での事故死だそうですが、お二人とも若くて、自意識と感性が強すぎて、それを持て余して生きづらさを抱えていた、という印象があるんですよね。 もちろん「違い」が多々あるのは承知のうえで。 ただ、不躾な言い方なのですが、「命を終えることによって、決着をつける」というような生き方のかたちというのも存在するのかもしれないな、とも考えてしまうところもあるのです。 久々に『八足の蝶』を少し読んでみようか、と思って検索してみたのですが、そこにあったのは、「404 Not Found: ページが見つかりません」という表示でした。 そういえば、niftyのホームページサービスって、そろそろ終わるというのをどこかで見た記

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    curion 2016/11/28
  • ブックオフを利用してるんだが、もうブックオフは限界かもしれない - いつか電池がきれるまで

    toyokeizai.net この記事が最近、けっこう話題になっていました。 こちらはこの記事へのブックマークコメント。 b.hatena.ne.jp ああ、嫌われてるなブックオフ、という感じです。 「ブックオフの現状」について考察した、こんなエントリもありました。 naruoe.hatenablog.com naruoe.hatenablog.com この「ブックオフに欲しいがない理由」も「ブックオフの買い取り価格について」も納得できる話なんですよね。 僕はそんなに熱心なブックオフの顧客じゃなくて、気が向いたら入ってみるくらいの付き合いです。 ブックオフのシステムに嫌悪感を示している作家や好きが多いというのも知っています。 僕が住んでいるような人口10万〜20万人くらいの地方都市には、そもそも「古屋」という選択肢がありませんし、実際に「を安く買える数少ない手段のひとつ」であった時

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    curion 2016/09/17
  • 「題名のない音楽会」の『ゲーム音楽史の音楽会』を観た、聴いた。 - いつか電池がきれるまで

    日、2015年11月22日の午前9時からの「題名のない音楽会」は、『ゲーム音楽史の音楽会』でした。 www.tv-asahi.co.jp www.tv-asahi.co.jp 番組での演奏曲リスト 1『スーパーマリオブラザーズ』(1985年) 2『ファイナルファンタジーⅤ』より「マンボdeチョコボ」(1992年) 3『モンスターハンター』より「英雄の証」(2004年) 『パズル&ドラゴンズ』より「Departure」(2012年) 4『ファイナルファンタジー』より「メインテーマ」(1987年) 5『ゼルダの伝説』より「メインテーマ」(1986年) 『スペースインベーダー』以来、『ゲーム音楽』に触れてきている僕には、こうしてテレビゲーム音楽が、地上波の「音楽番組」で採りあげられることそのものが、やはりまだ感慨深いものではあるのですよね。 『ゲーム音楽』と「オーケストラ」といえば、すぎやま

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  • 永谷園の「お茶づけ」について、僕が40年近く誤解していたこと - いつか電池がきれるまで

    永谷園の「お茶づけ」には、幼少時からずっとお世話になってきました。 野菜も肉も魚も苦手だった僕にとっては、数少ない「安心してべられるもの」でもあったんですよね。 当時は「焼鳥には悪い鳥がなるのだ」と信じていましたし、口をゆがめて断末魔の叫びをあげている焼魚をみると、ごめんなさい!とか感じてしまう子どもだったのだよなあ。 なんなんだ、「悪い鳥」って。 今となっては、「べてしまうのはいささか申し訳ないが、こちらもべないと生きられないのでスマヌ」というくらいというか、むしろ、昔べられなかった分を取り返しているのではないか、というくらいの勢い、なのですが。 脱線してしまいましたが、「永谷園のお茶づけ」の話に戻ります。 僕は幼稚園くらいから、この「お茶づけ」をべていた記憶があります。 最初は「のり茶づけ」がいちばん好きで、次に「さけ」、「梅」は酸っぱいから苦手、だったのです。 「のり茶づけ

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    curion 2015/10/21
  • 『スーパーマリオメーカー』と「レベル1でドラゴンと遭遇してしまう問題」 - いつか電池がきれるまで

    blog.skky.jp lastline.hatenablog.com 『ニコニコ動画』で、ランキングが『スーパーマリオメーカー』の動画で埋め尽くされている、ということの是非が問われています。 僕はそんなに最近のゲーム実況は観ないので(観るのは、昔のマイコンゲームの動画がほとんどです)、あんまり一時のランキングにとらわれていても、しょうがないんじゃない?どうせ何ヵ月かしたら、また他のゲームの話になるだろうし、という感じなのですが、これだけ話題になっていると、『スーパーマリオメーカー』というソフトには、けっこう興味がわいてきました。 www.youtube.com それで、Amazonのレビューなどを読んでみたのですが、実際に遊んでいる人の(一部の)声として、いや、嘆息みたいなものとして、こういう意見がけっこうあったんですよね。 www.amazon.co.jp いろんな人がつくったコース

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    curion 2015/10/13
  • 「9月1日の図書館」と『はれた日は学校をやすんで』 - いつか電池がきれるまで

    はれた日は学校をやすんで (アクションコミックス) 作者: 西原理恵子出版社/メーカー: 双葉社発売日: 2013/12/20メディア: Kindle版この商品を含むブログを見る はれた日は学校をやすんで (双葉文庫) 作者: 西原理恵子出版社/メーカー: 双葉社発売日: 2006/03メディア: 文庫購入: 9人 クリック: 43回この商品を含むブログ (52件) を見る 最近の「9月1日の図書館」をめぐるさまざまなやりとりをネットで見ていて、僕は以前読んだ、この西原理恵子さんののなかのエピソードを思い出しました。 たいへん「沁みる」作品で、はじめて読んだ時点では、もう大学を卒業してしまっていたのに、中学生の頃の自分に出会ったような気がしたのです。 当は、この「はれた日は学校をやすんで その15 油性インクで」を西原さんの絵で読んでいただくのがいちばん良いとは思うのですが、いちおう、

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    curion 2015/09/05
  • ミステリがあまり好きじゃない人のための、教養として読んでおきたい10作 - いつか電池がきれるまで

    先日、二夜連続で三谷幸喜脚の『オリエント急行殺人事件』が放送されました。 車のなかで、その番組のことについて話していた際、が言っていたのです。 「アガサ・クリスティの名前は知っているけれど、『そして誰もいなくなった』も『オリエント急行殺人事件』も読んだことがない」と。 読書傾向というのは人それぞれで、は「世界名作全集」的なものを幼少時に一通りは読んだ、とのことだが、ミステリにはあまり興味がなかったそうだ。 僕はそのあたりの「大人が子供に読ませておきたいであろう名作」が、すっぽりと抜け落ちているのだよなあ。 子供の頃は、「子供が読むなど、読みたくない」とずっと思っていたし、この年になると、いまさら、ねえ……という感じなので。 最近、ミステリ好きを公言している6歳の長男が「それって、『名探偵コナン』みたいなやつ?読んでみたい!」と言っているのを、y嫁が「幼稚園児にはまだ早い!」とたしな

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  • 「紀伊国屋書店、村上春樹氏の新刊『買い占め』」についての雑感 - いつか電池がきれるまで

    www.nikkei.com 「そこまでやるのか、紀伊國屋!」 この記事を読んだときには、そう思いました。 こんな、ネット書店(主にAmazon)への嫌がらせみたいなやり方で、村上さんの新刊(しかも、「自伝的エッセイ」だそうじゃないですか、それはファンなら読んでみたいはず)をほぼ独占的に販売しようとするなんて。 そもそも、リアル書店のなかでは、紀伊國屋は「強者」なわけで、Amazonがリアル書店全体を脅かしている一方で、紀伊國屋などの大型書店が、地方の中型書店を駆逐しているのも事実です。 買う側とすれば、どこででも買えるのがいちばん良いに決まっています。 こんなやり方では、紀伊國屋がない、田舎のリアル書店じゃ買えないじゃないか!とも思う。 ただし、田舎住まい経験からすると、田舎の書店は、雑誌とマンガと文庫がメインで、文芸書の単行なんて、もともとほとんど置いてなかったりもするわけなのです

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    curion 2015/08/23
  • 「ゲームセンターは不良のたまり場」だった頃 - いつか電池がきれるまで

    明治時代、読書といえば四書五経のようなマジメな漢籍を読むことであり、絵空事を書いた「小説」は読書のうちに入らないとされていた。で、「小説のような悪書を読むのは不健全である」と新聞で論じられたりもした。ひとえに小説が新しいメディアで当時の大人達が慣れてなかったのである— こなたま(CV:渡辺久美子) (@MyoyoShinnyo) 2014, 11月 26 1950年代に漫画が悪書扱いされ、日各地で焚書まがいの弾圧が行われていたのは有名だが、そのころ漫画を取り上げられて泣いていた子供たちが成長し老人になった今、誰も手塚治虫の漫画を悪書と呼ぶものはいない。— こなたま(CV:渡辺久美子) (@MyoyoShinnyo) 2014, 11月 26 このツイートを読んで、以前、ネットで書いたことへの、意外な反響に驚いたのを思いだしました。 僕が子どもの頃、いまから30年くらい前だから、1980年

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  • 「すき家」と「吉野家」の生卵の話 - いつか電池がきれるまで

    たぶん大部分の人にとってはどうでもいいことなのだろうけれども、個人的にはずっと気になっていたことについて書く。 なぜ、牛丼屋で卵を注文すると、殻付きの卵が供される場合と、殻を割った中身だけが供させる場合があるのだろうか? 牛丼チェーンでいえば、すき家は殻のままの状態で出てくるし、吉野家は中身だけだ。 しかし、考えてみると、なぜそこで「差別化」されているだろうか? 殻付きのメリットというのは、とりあえず「元がどんな卵だったかわかる」というのはある。表面のザラつきで、新鮮な卵かどうかわかる、というのもあるし、鶏卵であることも証明できる(まあ、コストパフォーマンスを考えると、鶏卵以外のものを使うことにメリットがあるとも思えないが)。 そして、「殻を割る楽しみ」というのも、なくはない。 すき家のメニューには「卵の黄身だけ入れるのを推奨」しているらしいメニュー(ねぎ玉牛丼とか)もあるので、そういう調

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    curion
    curion 2013/11/24
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