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★と日本社会に関するd1021のブックマーク (38)

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  • My Life Between Silicon Valley and Japan - 「好きを貫く」のはそんなに簡単なことではない。意識的で戦略的でなければ「好きを貫く」人生なんて送れないよ。

    「直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。」を書いてから二週間。休暇で海外に出ていたのでしばらくこのブログを更新できなかったが、その間の膨大な反応も、帰国してから全部読んだ。 僕のやブログをずっと読んでくれている人には「言わずもがな」かもしれないけれど、あの短いエントリーを単体で読むだけだと誤解を招くだろう部分が「好きを貫く」ことの難しさ、厳しさだ。 人生の幸福とは「好きを貫いて生涯を送ること」だと僕は思っている。「好きを貫いて生涯を送ること」は素晴らしいことだ。人からどう見えるとか、他人と比較してどうこうという相対的基準に左右されるのではなく、自分を信じ、好きを貫く人生を送ること。当の幸福とは、そういう心の在り様にこそあると、僕はそう信じているから、若い人達に、そんなに簡単に「好きを貫く」ことを諦めてほしくない。でも「簡単だから

    My Life Between Silicon Valley and Japan - 「好きを貫く」のはそんなに簡単なことではない。意識的で戦略的でなければ「好きを貫く」人生なんて送れないよ。
    d1021
    d1021 2007/04/01
    "「人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ」というのは、そのくらい自分の「好き」に関わることに没頭し続けて行動しなければ「好きを貫く人生」なんて送れっこないからだ。"
  • 愛されるに値する男とは?:日経ビジネスオンライン

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    d1021 2007/03/22
    "江戸の男たちは女たちや子どもたちとの折り合いがよかったといわれます。寅彦が若かった時代も、きっとそのような「心豊かな男ら」が多数生き延びていたのだと想像します。"
  • 404 Blog Not Found:君たちの感動的なお言葉

    2007年03月20日02:30 カテゴリLoveCode 君たちの感動的なお言葉 ネット空間で特に顕著だが、日人は梅田望夫にツッコまない。 My Life Between Silicon Valley and Japan - 直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。 ネット空間で特に顕著だが、日人は人を褒めない。 高校生のための批評入門 梅田卓夫/ 服部左右一/ 清水良典/ 松川 由博 以前からblogで言ってるけど、もっとツッコめよ。心の中に違和感があったら口に出せ。誰だっていくつになったって、他人の違和感は指摘されなければわからない。そういう小さなことの積み重ねで、ものごとは回りもするしつまづいたりもする。「人を批判する」というのは、「ある対象をより善くしていく能力」と密接に関係する。「ある対象をより善くしていく能力」とい

    404 Blog Not Found:君たちの感動的なお言葉
    d1021
    d1021 2007/03/20
    "日本人は梅田望夫にツッコまない。""褒めるなら、落ち込んでいる奴を褒めろ。批判するなら、ノッテる奴を批判しろ。"「活かす」ためには活殺自在でなければならないという話。
  • 日本の常識と世界の常識 - 池田信夫 blog

    Economist誌の前編集長(元東京支局長)とジャパン・ウォッチャーとして知られる証券アナリストの対談。内容は常識的だが、これが日の常識がどれぐらい違うかをみるために、日経団連の「御手洗ビジョン」と比べてみた。 今後の大きな変化がグローバル化と人口減少だという点では、両者の見立ては一致しているが、それに対する考え方は対照的だ。財界が中国やインドの追い上げを強調し、研究開発に政府から補助金をもらって製造業の競争力を強化しようとするのに対して、外人2人はもう「額に汗して働く」時代ではないと断じ、中国やインドとの国際分業を進めるべきだとする。今後の成長産業はサービス業であり、日の経済力はドコモやイオンがどこまでグローバルなプレイヤーになれるかで決まる。 政治との関係では、「御手洗ビジョン」が行財政改革を強調し、消費税の引き上げを提言するのに対して、外人は財政再建なんてどうでもいいと一

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    d1021 2007/03/04
    "今後の成長産業はサービス業""財界が拒絶する資本市場のグローバル化こそ日本経済の最大の課題であり、チャンスだ""東京の役割は、こうした資本市場を活性化してアジアの金融センターになることだ。"
  • 家計って株式投資で儲かってんの?: 極東ブログ

    十三日の朝のラジオで評論家内橋克人が、株式を保有している世帯と銀行・郵貯などに貯金している世帯とでは家計の収入に大きな差が出てきて困ったものだという話をしていた。ぼんやりと寝惚けた頭で話を聞き流していたのだが、え?と思って目が覚める。そうなのか? というかどのくらい差があるのか。話を聞いているとけっこうな差がありそうだ。まあ、差があっても別によいわけで、それを格差問題だとも思わないのだが、気にはなっていた。その後、十七日付けの日経新聞に同じ話が載っていたので、ざっくり確認し、あらためて、へぇと思った。 話は内閣府発表〇五年度の国民経済計算(SNA)によるらしい。ソースは”17年度国民経済計算(93SNA)”(参照)ではないかと思う。が、データばっかりで私のような素人からは内橋の話は読み取れない。というわけで、ざっくり聞いた話をまとめるのだが、二〇〇五年度の国民所得の内、家計に回った所得(賃

  • http://mozan.typepad.com/mozanblog/2007/02/post_4.html

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    d1021 2007/02/20
    "私のブログの行き着く結論は、アメリカ暮らしを通じて西欧型ロゴス中心主義の限界を見極めることになるのだろうと薄々知っていた。"
  • コミュニケーション能力をウリにする人が醜悪な理由

    たいして中身のない人が、コミュニケーション能力を武器に、要領よく立ち回って得意げになってるのって、いやな感じですよね。 あのいやらしさって、どこからくるのでしょう? もちろん、中身とコミュニケーション能力の両方を兼ね備えた人が理想なわけですが、現実には、どちらかに偏っている人はよくいます。そして、中身かコミュニケーションかのどちらかをウリにして自分の居場所を確保していることがよくあります。 そして、コミュニケーション能力を取り柄に自分の居場所を確保しているタイプの人間って、一見、外面がよく人当たりがいいから、多くの人がだまされるんだけど、いざ、仕事格的にコラボレーションすることになったりすると、その精神の腐臭が鼻につくことが多い。 あの腐臭はどこから来ているのでしょうか? コミュニケーションすれば問題が解決するわけじゃない よく、「みんなで集まってこの問題を解決しよう」と言って集まるん

    コミュニケーション能力をウリにする人が醜悪な理由
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    d1021 2007/02/09
    "唯一の正しい競争とは、価値創造の競争でなければならない。""コミュニケーション能力はあくまで家来に過ぎない""腐った空気に適応すべきではない。むしろ孤独の中で力を蓄えろ"
  • qualianation

    クオリア・マニフェスト Top Pageに戻る クオリアから見た感性の時代 ークオリア立国ー 茂木健一郎 kenmogi@qualia-manifesto.com (c) Ken Mogi 2003 2003.10.24. 感性のルネッサンスの時代 現代は、感性の時代だと言われる。一昔前は、その時代に一番頭の良い知識人が誰であるか、その人が何を考えているかを世間がしきりに気にしていた。今は、知識人よりも、鋭い感性を持っている表現者の方が、時代のヒーローになる。もちろん、知性などいらないというわけではない。知性もまた感性の一つであるということを私たちが認識し始めたのである。 私の専門の脳科学では、人間が心の中で感じる様々な質感のことを、クオリアと呼ぶ。私たちの体験する世界は、抜けるような青空や、ヴァイオリンの音色や、メロンの味といったユニークで鮮烈なクオリアに満ちている。およそ意識の中である

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    d1021 2007/01/25
    "知識人よりも""私たち人間は、対象にまつわるさまざまな情報を編集した結果をクオリアというコンパクトな形で感じることで、認知の対象を把握している。""ブランド""源氏物語"→1/24知識人とは何か 1/19もののあはれ
  • iza:イザ!

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    d1021 2007/01/23
    "21世紀にも日本の技術力が活力を維持するためには、このCGMの動向が示唆する爆発的ソフトウエア・パワーが、ナノ・クインなどの中核的ハードウエアの開発成果を存分に駆使して、驚異的相乗効果に転化していく"
  • 鎌田東二オフィシャルサイト

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    d1021 2007/01/19
    "倫理や道徳を教える前に、美や感動、喜びや悲しみや感謝を体験する必要がある""悲しい、淋しい、痛い、辛いという負の感情こそが、やさしや思いやりや慈悲や愛の感情基盤なのだ。"
  • 2007年を斬る: 「働く」って何だっけ? (ニュースを斬る):NBonline(日経ビジネス オンライン)

    2007年を斬る: 「働く」って何だっけ? (ニュースを斬る):NBonline(日経ビジネス オンライン)
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    d1021 2007/01/18
    "若手にすれば、少しぐらい知識を身につけただけでは全然プロとして活躍できないと感じる時代になり、年輩から見れば・・師匠として本当に高度な知恵を伝承できるかが・・・資質になってくるんです。"GJ<chanm氏
  • それは「社会に対する責務」なのか? - 琥珀色の戯言

    http://invisible.at.webry.info/200701/article_9.html 僕自身は、この件に関して「そんなのいちいち『結果』をアナウンスする必要なんてない」と思います。いや、小学生とかが「どうなったのか知りたーい」とか言って騒いでいるのなら理解できなくもないのですが(でも、僕の子供だったら叱り飛ばします)、こういうのって、「アナウンスしないというのが、ひとつの答え」なのでしょうしね。正直、そういう状況で「亡くなっていた」ということから僕が想像する死因というのは、「自殺」とか「事件に巻き込まれた」というものですし、もしそうであるならば、今の日の社会からすれば、家族の今後の人生のことを考えると、それを大声でアピールすることにメリットは全くなさそうです。もし仮に自殺だとしたら、こういう「社会に対する責務」とか言う人って、「勝手に自殺したのに、みんなに探させるなん

    それは「社会に対する責務」なのか? - 琥珀色の戯言
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    d1021 2007/01/16
    "「社会」を代弁できるほど偉いのなら、せめて家の周りのゴミくらい拾ってみろよ。""真剣に考えれば考えるほど、人間には「私のこと」しか書けなくなるのではないかなあ。"
  • 内田樹の研究室 - 「不二家」化する日本

    菓子メーカー大手の不二家が消費期限・賞味期限の切れた材料を使って洋菓子を製造していた事件は、当初現場のパート作業員の個人責任とされていたが、今朝の新聞報道によると、埼玉工場では7年前から工場長まで含めた工場全体の組織ぐるみで期限切れ原材料の使用や消費期限の付け替えが行われていたことが内部監査で判明した。また品衛生法基準の60倍の細菌が検出されていた洋菓子についても、工場長は回収指示を出さず、出荷されていた。 調査結果を承けて、大手スーパーは不二家製品の撤去を開始、すでに洋菓子販売は全面休止しており、全国の工場での調査結果でさらに問題が出てきた場合、すでに業績悪化している経営にとって致命傷となる可能性が高い。 この事件は現代日企業の知的退廃を象徴する出来事だと私は思う。 「知的」退廃というところにご注意願いたい。 倫理観の欠如とかコンプライアンスの不徹底とかマニュアル運用の不備とかいろい

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    d1021 2007/01/16
    "母親の子育て"-"「超越的に邪悪なもの」の闖入"-"「デインジャー」","父親の子育て"-"「群れの中での相対的強者」"-"「リスク」","レース場の外にはもう一つ次数の高いルールが存在するということを忘れてしまった"
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    d1021 2007/01/16
    "世間と摩擦を起こしながらも、生きていかなければならない、と諦めたのである。""世間との折り合いを断念したときに彼は最も才能が輝く。"
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    d1021 2007/01/16
    "地道に、妥当に、奇を衒わず、あたりまえのことをあたりまえに、目の前の現象に向き合おうとしてやってきたことが、結局なんにもならなかった。かえって自分が攻撃される原因ばかりをつくった。"
  • 小谷野敦の「なんとなく、リベラル」(「文学界」)を読む。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』

    ■無能な大学教授や女性研究者が、何故、蔓延るのか。 車谷長吉が「文学の基」(「新潮」2月号)というエッセイで、まさしく文学の基問題について、例によって過激なことを書いている。とは言っても、これは慶応大学での講義録(「詩学」)のまとめを再録したもののようだが、そこで車谷長吉が質的な議論を展開しているが、中でも、文学の世界に、「頭の悪い人」や「頭のいい人」や「頭の強い人」…がいるという議論には感服した。車谷長吉は、「頭の強い人」が一番文学に向いていると言いながら、「頭のいい人」の部類に入る作家たちを、たとえば大学教授とか大学助教授という社会的な身分を確保しつつ小説や批評を要領よく書いて、文壇を闊歩しているような軽薄な作家や批評家たちを、「傷つくことを恐れる」小心者たちだ、とこき下ろしている。文学者は、そうであってはならないだろう、と。むろん、私は車谷長吉の主張に全面的に賛成する。と同時に

    小谷野敦の「なんとなく、リベラル」(「文学界」)を読む。 - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』
    d1021
    d1021 2007/01/15
    "最大の病根は、この「頭のいい人」たちの存在""助手に選ばれたのは、自分が「美人」だったからではないだろうか""そこに文学があるのか、あるわけないだろう""今の人文・社会系の若い連中の論文読んでいるとね"