連日、エビリファイの話が続きますが・・・・今日は、会社をさぼっちゃいました♪ と言っても、年休がいっぱい余っていて、ほとんど休まない私は会社からも「休め~休め~」と言われているので問題はないのですよ。 また、私の仕事のペースは自分で決められる内容なので社会的には問題ありません。 やっぱり、最近再開したエビリファイの効果でしょうか、気持ちにゆとりができたのかな? 今日は、朝から妻とコーヒーなど飲みながら、いろいろおしゃべりを楽しんでいました。 ただ、間が悪いことに、今日は息子の小学校の役員会やイベントが多く ゆっくり私の相手をしている暇はないそうです。ガッカリ・・・・ 話は戻りますが・・・ しかし、確かに最近仕事に一生懸命で残業ばかりしていたし、休日出勤をしてでも仕事をしていました。 もちろん、それが悪いことではないと思います。 むしろ、男として一生懸命に仕事をすることは社会的にもいいことだ
大分県宇佐市のこども園を襲撃し、小学生ら4人を負傷させたのは、約15年、ひきこもり状態にあった30代男性だった。今年3月、傷害など5つの罪に問われた被告の裁判が大分地裁中津支部で始まった。初公判では、事件の背景に小学生の頃からのいじめがあったことや、本人の発達障害に周囲が気づかずにいたことなどが見えてきた。罪は償わなければいけない。しかし、そうした背景のあった加害者の心の中でいったい何が起こっていたのか。悲劇を繰り返さないための教訓を現地取材から探った。 初公判での被告 誰とも視線合わせず【事件の概要】昨年3月31日、認定こども園にフルフェイスのヘルメットを被った男が侵入した。男はこども園の近隣の自宅に住み、約15年にわたって、ひきこもり続け、当時32歳(現在は33歳)だった。自宅にあった竹刀を持ち出し、児童と職員を殴打したほか、携帯していた刃渡り18.8センチのナイフで職員2人に切り付け
私はADHDとして、不確定が当たり前の世界を感じて生活し、未来や他者に関しては「想像や仮定しておく」しかない。 例えば誰かに私が「厳しいことをはっきり言う」という場合、結果は当然「分からない」が、短期的に予想されることは「相手の感情を害する」「相手が反発する」というようなことで、通常は「はっきり言うのをやめよう」ということになる。 しかしADHDである私は、「一時的には表面上対立となっても、長い目で見れば、深い相互理解につながる可能性があるのではないか?」と想像してあえてはっきり言うことを実行した。 ASの人はADHDである私から見ると、「悲観的な可能性ばかり想定するのが得意」のように見える。「マイナスは少しもあってはいけない」のか、「ほんの少しでもマイナスがあったらおしまい」と感じるのか、と想像しているが。 ADHD(である私)は毎日分からない世界に生きているので、「ラッキーなことと不運
私自身最近気づいたことだが、ASの人と近く接し続けると、(多くはADHDの場合に)「認知と思考がASのようになって意欲が低下する」という現象があり、仮にAS被影響症候群と名づけた。 ASの人の認知と思考の重大な特徴として、「あらゆることに可能性が一つしかない(もしくは無い)ように考える」という面があり、よく「想像力の欠如」と表現されるのもこの特徴だろう。お金に困った場合などには特に激しくなるようだ。 ADHDから見ると、「どこへ行っても袋小路で、あらゆる可能性が閉ざされて出口がない」という話ばかり聞くことになり、著しくADHDの活力を削がれる状況になる。実はそれだけでなく、「本人を救いたいという気持ちを逆手に取られて脅されている」に近い状況も出現する。 私自身もこの状況に陥っていて、最近回復したのだが、必要なことは、「これはAS的なゆがんだ認知の結果でしかない」、「現実の可能性は依然として
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