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絵金に関するdavid3rdのブックマーク (3)

  • 【レポート】須崎八幡宮の夏祭りとまちかどギャラリー・映像プロジェクション「窓のどろろん」 : 元*高知県須崎市地域おこし協力隊の過去ブログ

    元*高知県須崎市地域おこし協力隊の過去ブログ 高知県須崎市での生活や人、もの、出来事、観光、イベント情報などを紹介したブログです。 ※ブログ内の画像の無断転載はお断りしております。情報は掲載時のものとなります。あらかじめご了承ください。 先日の7月29日(水)からはじまった「須崎と絵金」展。 参照記事:【7月~8月の催し】7月29日(水)~「須崎と絵金」展/8月8日(土)のみの限定開催・朗読劇@まちかどギャラリー 初日は夜間開放&とくひらようこさんによる映像プロジェクションが見られるとのことで友人と待ち合わせ。 まだ明るかったので、先に八幡様の夏祭りに行くことに。 道の脇にちょうちんが飾られていて、地域のお祭り感びしびし。 何か子どもの頃を思い出します。 今は子どもの数が減って、どこの町も年々小規模になっているみたいですがお祭りは無くなってほしくないですね。 この日は、夏祭りと一緒に輪抜け

    【レポート】須崎八幡宮の夏祭りとまちかどギャラリー・映像プロジェクション「窓のどろろん」 : 元*高知県須崎市地域おこし協力隊の過去ブログ
    david3rd
    david3rd 2015/08/02
    7月29日(水)からはじまった「須崎と絵金」展
  • Web高知-土佐の技-絵金

    絵金は江戸時代の文化・文政期に生まれ、狩野派を学んだ異端画家 です。迫力ある芝居絵は必見です。絵金屏風絵は平成21年4月に高知県指定有形文化財となっています。 絵金の生い立ち 文化9年(1812年)10月11日に高知市城下新市町の髪結いの子として生まれ、金蔵と命名される。 文化・文政期(1804~1830年)の爛熟した町人文化はこの土佐にも伝えられ、 彼の生家である髪結い床にも、勇ましい武者絵や役者の似顔絵が張られていたと思われます。 幼少の頃から画才に秀でた金蔵は、城下に住むお城絵師・楊斎に師事し狩野派の画風を学び、頭角を現しました。 絵金、江戸へ上る 文政12年(1829年)絵の師である楊斎の推薦により、藩主山内侯息女徳姫出符に際し 駕籠かきの名目で供に加えられて江戸にのぼりました。そして、藩邸の特別のはからいにより 江戸城御絵師・駿河台狩野五世の宗家に入門が許されました。 絵金、土佐

  • 高知県立美術館ミュージアムショップ 絵金に関するページ

    謎の絵師、絵金(弘瀬洞意) 蝋燭の炎にぼうっと浮かぶ泥絵の具。血の海に沈む女、転がる首、臓物、人魂、幽鬼、阿鼻叫喚、凄惨、狂乱…。土佐の夏祭りに来てみるといい。所によっては今でも絵金の芝居絵が夜の参道を妖しく彩っている。 謎の絵師、絵金。絵筆が醸し出す圧倒的迫力、そして今に残る作品の多さにもかかわらず、彼は百年もの間正当な評価を受けることがなかった。おかげで数々の謎に覆われている。 どこに住んでいたのか、なぜ異常なほど芝居に詳しいのか、どんな人物だったのか…。 彼は姓を木下、林、弘瀬と変えている。名前(画号)の方は金蔵を振り出しに洞意、美高、柳栄、雀七。一八一二年、高知市内の貧しい髪結いの家に生まれる。江戸に出て狩野派に学び、帰高後は家老桐間家の絵師職に。苗字帯刀まで許されるが、贋作事件(絵金が描いた狩野探幽の模写を古物商が売ろうとして摘発されたと言われる)に連座してその地位を追わ

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