特記事項なき場合、本節の出典はJBISサーチ[2] 1992年5月7日、帯広競馬場でのサラ系3歳新馬戦でデビューし、5着。4戦目で勝ち上がり、秋に2勝を上積みして3歳時は10戦3勝とする[3]。4歳となった1993年は、初戦の北斗盃は8着に終わり続く2戦も勝てなかったが、王冠賞から特別戦2戦、北海優駿と4連勝を記録。ブリーダーズゴールドカップはヒデノリードの8着、堂山芳則厩舎へ移籍し転厩初戦の水沢競馬場でのダービーグランプリは、ミスタールドルフの4着に終わった。 脚部不安が顔を見せる中[3]で5歳を迎え、シーズン3戦目のステイヤーズカップを2分28秒9のレコードタイムで勝利。続く第6回ブリーダーズゴールドカップは勝ったカリブソングに4分の3馬身まで詰め寄って2着[3]。11月の道営記念もアトラスオーザを下して制した。翌1995年も瑞穂賞、旭岳賞と連勝してステイヤーズカップを2着。11月の道