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philosophyに関するdlitのブックマーク (77)

  • ジョセフ・ヒース「『批判的』研究の問題」(2018年1月26日)

    [Joseph Heath, “The problem with “critical” studies,” In Due Course, January 26, 2018] 学部生だった頃,こんな風に思っていた――《「客観的」「価値自由」なやり方で社会現象を研究する実証主義が社会科学で蔓延しているのは世界の災厄だ.そんなものは幻想だ,というか有害な幻想だ.だって,客観性をよそおいつつ,その裏には隠れた目標があるんだから.つまり,支配しようという利害関心をもってるんだ.人々を主体ではなく研究の対象として扱うなんて政治的に中立じゃない,だってそうやってうみだされる知識ってのは,どういうわけかうまいぐあいに,まさに人々を操作し管理するために必要とされるたぐいの知識になってるもの.つまり,「客観的な」社会科学はちっとも価値自由なんかじゃない,むしろ抑圧の道具になってるじゃないか.》 これに替わる選

    ジョセフ・ヒース「『批判的』研究の問題」(2018年1月26日)
    dlit
    dlit 2018/10/15
    「「これは完全な駄本だったな」となるかどうかを見分けるいちばん確かな指標は,フーコー(および/あるいはブルデュー)が論じられていたりことあるごとに引用されたりしているかどうかだ」
  • ぷくろう on Twitter: "@koichi_kawakami 科学とニセ科学の峻別というのは20世紀前半に論理実証主義者が始めた議論ですが、トマス・クーンが『科学革命の構造』(1962)を出版して以降、科学とニセ科学を区別する客観的基準は存在しないというのが… https://t.co/ex05aPRijm"

    @koichi_kawakami 科学とニセ科学の峻別というのは20世紀前半に論理実証主義者が始めた議論ですが、トマス・クーンが『科学革命の構造』(1962)を出版して以降、科学とニセ科学を区別する客観的基準は存在しないというのが… https://t.co/ex05aPRijm

    ぷくろう on Twitter: "@koichi_kawakami 科学とニセ科学の峻別というのは20世紀前半に論理実証主義者が始めた議論ですが、トマス・クーンが『科学革命の構造』(1962)を出版して以降、科学とニセ科学を区別する客観的基準は存在しないというのが… https://t.co/ex05aPRijm"
    dlit
    dlit 2018/02/02
    「トマス・クーンが『科学革命の構造』(1962)を出版して以降、科学とニセ科学を区別する客観的基準は存在しないというのが科学哲学での「常識」」こういう認識の人これまでも何度か見かけた
  • 法哲学講義「自由の概念分析」(1) - tkira26's diary

    1. 法概念論に向けて では、始めます。今回で8回目で、ちょうど折り返し地点という感じですね。これまで扱ってきたのは「正義論」と呼ばれる分野で、たくさんの立場、たとえばリベラリズムとかリバタニアリズムとか功利主義とか、いろいろ紹介してきました。嫌いにならないでください。今回からはそれとはちょっと趣向が変わった話になります。これからやるのは「法概念論」と呼ばれる分野、要するに「法とは何か」を問うものです。 「法とは何か」というのは法哲学にとって根的な問題ですが、これだけだと問いがぼんやりしすぎていて、どう答えればよいかよくわからないですよね。なのでこの授業では、まずは法に関係するさまざまな言葉の実際の使われ方に着目していってみたいと思います。これは哲学的な言い方をすると「概念分析」と呼ばれるやり方です。で、今回は「自由」とは一体なんだろうか、という問題を扱います。 自由っていうのは、法的に

    法哲学講義「自由の概念分析」(1) - tkira26's diary
    dlit
    dlit 2016/06/16
    「英語の使い方としては、この2つ、一緒なんです。freedomは古ゲルマン語、libertyはラテン語、まあこのへんは正確なことは難しいんですが、とにかく語源が違うだけで、言い換え可能な言葉なんです」
  • Daily Life:戸田山和久『科学的実在論を擁護する』書評

    March 27, 2016 戸田山和久『科学的実在論を擁護する』書評 戸田山和久『科学的実在論を擁護する』名古屋大学出版会 2015 http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0801-3.html 書は戸田山氏による格的な科学的実在論の研究書である。 まず、日語でよめる実在論論争史の紹介として、現時点で書がもっとも充実したものだということは間違いない。20世紀における論争の紹介内容は、シロスのScientific Realism: How Science Tracks Truth (Psillos 1999)という定評ある研究書を下敷きにしていることもあり(これについてはあとで触れる)、信頼性は非常に高い。また、21世紀になってからの動きとして、チャクラバティの「半実在論」(semi-realism)やスタンフォードの「新しい帰納法」など

  • 東京を無視して「関西弁」論は成り立たない、ところで、言語学を無視して言語分析は成り立つか?(金水敏『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』) - 仕事の日記

    この「ボケ役=大阪弁」という図式の成立と展開こそ、わたくしは「創られた神話」として学術的に表象の分析をどなたかにしていただきたいものだと思っております。 江利チエミ没後30年、映画「ジャンケン娘」&三人娘映画を観る - 仕事の日記(はてな) この件については、金水敏『ヴァーチャル日語 役割語の謎』という素晴らしいが2003年に出ていたことを遅ればせながら知りました。 ヴァーチャル日語 役割語の謎 (もっと知りたい!日語) 作者: 金水敏出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2003/01/28メディア: 単行購入: 5人 クリック: 97回この商品を含むブログ (59件) を見る 大栗裕が大阪言葉で作曲した歌劇「夫婦善哉」のことを整理したときに、日語学(方言研究)の文献をいくつか読みましたが、いわゆる「船場言葉」を話す人は戦後ほとんどいなくなっているとされ、昭和の終わりから平成

    東京を無視して「関西弁」論は成り立たない、ところで、言語学を無視して言語分析は成り立つか?(金水敏『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』) - 仕事の日記
    dlit
    dlit 2016/01/08
    「「ヴァーチャルな役割語」という領域設定は、学術書の姿を借りたネタ本を売りたい大学人の欲望を刺激してしまう」「言語学としての日本語学、という視点が新鮮」
  • 素人が分析哲学や論理学・数学の哲学をやる際にこれだけは読んでおけ!ってリストを教えてくれませんか五冊ほど教えてくれたら嬉しいです | ask.fmhttps://ask.fm/ytb_at_twt

    こんな感じでいかがでしょう(5種8冊になってしまいましたが) ①数学を哲学する スチュワート シャピロ http://www.amazon.co.jp/dp/4480860746/ref=cm_sw_r_tw_dp_moE0vb1VN9SAR ②言語はなぜ哲学の問題になるのか イアン・ハッキング http://www.amazon.co.jp/dp/4326152192/ref=cm_sw_r_tw_dp_zpE0vb05JWVNK ③言語哲学大全1論理と言語 飯田 隆 http://www.amazon.co.jp/dp/4326152001/ref=cm_sw_r_tw_dp_eqE0vb1N0H85J(4巻まで) ④ダメットにたどりつくまで (双書エニグマ) 金子 洋之 http://www.amazon.co.jp/dp/432619913X/ref=cm_sw_r_tw_dp_u

    素人が分析哲学や論理学・数学の哲学をやる際にこれだけは読んでおけ!ってリストを教えてくれませんか五冊ほど教えてくれたら嬉しいです | ask.fmhttps://ask.fm/ytb_at_twt
  • 野家啓一「人文学の使命ースローサイエンスの行方」

    菅裕明他『研究する大学――何のための知識か』岩波書店,pp. 165-195. *草稿なのでコメントあればお願い致します. 基的には,人文学(と自然科学)が分離し,対立していく歴史を辿りながら,「人文学は,速度と効率を優先させる市場価値には還元できない別次元の価値が厳として存在することを、『スローサイエンス』の旗印のもとに積極的に言挙げすべきなのである」(pp. 186-187)と論じている.わりと共感できる部分は少なくないのだが,気になる点も多い.以下にそれを列挙する. 野家のイメージする人文学の狭さ どう見ても野家のイメージする人文学は狭すぎるように思われる(あるいは,多様なものでない).たとえば,野家によれば,「人文学の研究成果が論文の改訂を経て書物としてまとめられるまでには、通常二、三年を要する」(p. 186)という.また,この論文の位置づけは,「人文学では論文は書物となる前段

    dlit
    dlit 2015/08/01
    「人文学は野家が思っているより多様なものなのである.」
  • 補足:『知の欺瞞』は何を批判していたか - left over junk

    mojimojiさんは,先日のエントリの内容を「trivial」*1 なものであり,「サイエンス・ウォーズにおけるソーカルのツッコミみたいなもの」*2 だと記しておられます. ぼくの批判が細部または枝葉末節に関わるものだという点はべつに否定しません.ですが,ぼくはソーカルやブリクモンが『知の欺瞞』でやったような批判をしたわけではありません. まず,mojimojiさんのエントリ「サイエンス・ウォーズ」の全文をみてみましょう. 一般論として、ある命題と、その論証において、論証がまちがっていることを指摘するのは、それはそれで意味がある。ただ、命題そのものにはちゃんと意味があるから、その意味において(どういうわけか)使えたりもしてしまう。だから、結局のところ、その命題が使えてしまっているならば、命題の論証に瑕疵があることを指摘するだけではなくて、その命題を別のやり方で論証するか、あるいは、あるい

    補足:『知の欺瞞』は何を批判していたか - left over junk
  • PC教団化する“経済論客”たち - 仲正昌樹(第18回) – 月刊極北

    たけもとのぶひろ(第8回)たけもとのぶひろ(第9回)たけもとのぶひろ(第10回)たけもとのぶひろ(第11回)いしうらまさゆきたけもとのぶひろ(第12回)【極北ラジオ】7/28(金)24:00~竹村洋介の夜をぶっ飛ばせ(第3回)配信!たけもとのぶひろ(第14回)たけもとのぶひろたけもとのぶひろ(第15回)たけもとのぶひろ(第16回)匿名希望(第4回)月刊極北南氏とのやり取り(竹村洋介)たけもとのぶひろ(第17回)東陽片岡仲正昌樹たけもとのぶひろ(第18回)居島一平たけもとのぶひろ(第19回)吉岡達也七司野寝子たけもとのぶひろ(第20回)匿名希望(第6回)留学生アラレ姫たけもとのぶひろ(第21回)【極北ラジオ】6/30(金)24:00~竹村洋介の夜をぶっ飛ばせ(第2回)配信決定!たけもとのぶひろ(第22回)匿名希望(第7回)8月7日に届いた投稿既刊案内お問い合わせ会社概要InboxSend M

    PC教団化する“経済論客”たち - 仲正昌樹(第18回) – 月刊極北
  • 分析美学にはどのようなトピックがあるのか - 昆虫亀

    先日、とある学部生が分析美学は面白いよ、というブログ記事を書いてて、 http://ertb.hateblo.jp/entry/2015/05/30/223856 それを受けてtwitterで松永くんがちょっといいこと言ってました。 分析美学にかぎったことではないけど、美学者はもうちょっと「美学の問題のポイントがよくわかるしもっと勉強して考えたい」みたいな感想を学部生から引き出すことに注力したほうがよい— matsunaga s:3D (@zmzizm) May 30, 2015 美や芸術やセンスについて自分が日ごろ考えているあれこれが美学のなかでどういうふうに整理されて掘り下げられて論じられておりますというのを知るとっかかりがほんとになかったし、たぶんいまもないんだろう— matsunaga s:3D (@zmzizm) May 30, 2015 まぁ入門書的な教科書については数年前にま

    分析美学にはどのようなトピックがあるのか - 昆虫亀
  • いわゆる文系の学問にもいろいろあって、一応人文科学や社会科学などと呼ばれていたりもしますが、それぞれ方法論など随分違うと思います。科学哲学ではそれらの諸学問のどこかに科学とそうでない学問との線引きをする、というような問題設定はあるのですか? | ask.fmhttps://ask.fm/tiseda

    社会科学については社会科学の哲学という分野があって、どういう研究が社会科学の名に値するかというのはその分野の一つの話題ではあります。ただ、名前がどうかよりも社会科学に特有の方法論というのはありうるのか、いわゆる質的研究をどう評価するのか、といった問いの立て方の方がよほどメジャーだと思います。 人文学の哲学はそもそも科学哲学の一分野としては成立していないと思います。もちろん科学哲学のこれまでの議論の蓄積を使って論じることのできるテーマだと思いますし、実際「歴史学の哲学」は一つの分野として議論が行われています。ただ、この議論は哲学者というよりも主に歴史家たち自身によって行われていると思います(わたしの授業でも一度Appleby et.al のTelling the Truth about Historyを使ったことがありますが、この著者たちも歴史家ですね)。

    いわゆる文系の学問にもいろいろあって、一応人文科学や社会科学などと呼ばれていたりもしますが、それぞれ方法論など随分違うと思います。科学哲学ではそれらの諸学問のどこかに科学とそうでない学問との線引きをする、というような問題設定はあるのですか? | ask.fmhttps://ask.fm/tiseda
  • サール「デリダはテロリスト的蒙昧主義をやってる」(インタビュー引用)

    サールのインタビュー Conversations with John Searle (Libros EnRed, 2001)[Amazon] で引用されている「テロリスト的蒙昧主義」の出典と当該箇所をメモっておこう: Searle: With Derrida, you can hardly misread him, because he's so obscure. Every time you say, "He says so and so," he always says, "You misunderstood me." But if you try to figure out the correct interpretation, then that's not so easy. I once said this to Michel Foucault, who was more ho

  • 【メモ】メタ倫理学メモ - 水槽脳の栓を抜け

    ●定義的自然主義: 何らかの事実により「善い」ということが定義できる。(スペンサー:善いとは進化状態が発展したことである。ミル:善いとは功利の増大である) ●ヒュームの法則 「である」から「べきである」は導き出せない。 ●サールの反論 言語についての事実、社会的約束事についての事実、約束を打ち消すようなことはないという条件 から「べき」という命題が導き出せる。 再反論 導き出せるのは「べきであることとなっている」のみ ●ヒュームの法則の使い方 「である」から「べきである」命題が導き出されるとき、隠れた「べきである」命題が前提にある 暗黙の前提:言葉の意味についての前提だと解釈 前提1:XであるならばYである 前提2:「Yである」という言葉の意味には「Zすべきである」という意味が隠されている 結論:XであるならばZすべきである。 ●ムーアの自然主義的誤謬: 「善い」という定義できない言葉を定

    【メモ】メタ倫理学メモ - 水槽脳の栓を抜け
  • 斜めからみる「日本のポストモダン教育学」/稲葉振一郎 - SYNODOS

    の人文社会科学における「ポストモダニズム」の格的受容はいつごろはじまったのであろうか? 80年代初頭の浅田彰の華々しい活躍はとりわけ印象深かったが、もちろんそれに先立つ1970年代に、「1968年」の余燼冷めやらぬなか、フランス文学出自の書き手を中心に、雑誌『現代思想』や『エピステーメー』などを拠点としてジャック・デリダやミシェル・フーコーらの紹介が精力的になされてきた。 しかし歴史学や社会学のアカデミック・サークルのなかで彼らの業績が表だって踏まえられ議論されるようになるのは、格的には1980年代以降のことである、といってよいだろう。流行に弱い社会学では、浅田の格的デビューにわずかに先立つ1980年に、デリダ、フーコー、そしてとりわけジャン・ボードリヤールを踏まえた内田隆三の「〈構造主義〉以後の社会学的課題」(『思想』676号)、さらにJ・A・オースティンの言語行為論とフーコー

    斜めからみる「日本のポストモダン教育学」/稲葉振一郎 - SYNODOS
  • 学問小史:認知科学――心の哲学へ至る潮流

    1.認知科学とは 認知科学(Cognitive Science)とは,「心とは何か,心はどのように働くのか」という疑問を追求する学問分野のひとつであり,1970年代から学問分野としてのアイデンティティを確立し始めた比較的若い学問である。歴史的には心理学,情報科学,神経生理学,言語学,人類学などの諸学問の学際領域から発展してきたものであり,その萌芽は1930年代にまで遡ることができる。 認知科学が基盤とする方法論は「モデルによる理解」である。我々人間が行い得る「知的行為」が,これこれの心的表象をこれこれの形式で計算操作すると,そうした行動が生み出されると説明できる「認知モデル」を構築することが,認知科学の中心課題である。このモデルの妥当性は,心理学的な実験との整合性,神経生理学的な知見との整合性,モデルに基づいて構成される情報システムの実効性の観点から評価される。 しかし「心とは何か」という

  • 牧野淳一郎氏による伊勢田哲治氏の論の紹介、に対する違和感 - Interdisciplinary

    牧野淳一郎氏が、次のような主張をしていました。 もちろん、伊勢田さんみたいな、科学と非科学に線引きできるはず、という立場をとるなら、なんかあることになるけど。 http://twitter.com/jun_makino/status/546180929253687296 強調は私が施しました。このつぶやきで牧野氏は、科学哲学者の伊勢田哲治氏が、科学と非科学に線引きできるという立場であるのだ、と発言しています。 この後に牧野氏は、質問に応えて、伊勢田氏がそういう立場である事が判る文献として、科学哲学における線引き問題の現代的展開【PDF】を紹介しています。つまり牧野氏は、伊勢田氏の文献を参照し紹介しつつ、伊勢田氏の立場が科学と非科学に線引きできるというものであると主張しているのです。 ところが、伊勢田氏はそもそも、科学と非科学に線引きが出来るという立場などでは無いと私は考えます。 牧野氏自身

    牧野淳一郎氏による伊勢田哲治氏の論の紹介、に対する違和感 - Interdisciplinary
  • 説明とは何か − (1) 目的論

    前回記事では、科学哲学の目的は科学を理解することだ、と書きました。じゃあ具体的に科学者は何をしてるのでしょう。色々な物事を説明してます。じゃあ説明って何でしょう?ということで、今回は「説明とは何か」ということについて少し突っ込んで考えてみたいと思います。と思ったのですが、それだとあまりにもテーマが大きいので、少し分割して、今回は「目的論」について。目的論とは何か?物事をその目的から説明することです。っておいおい、いきなり「目的」かよ、全然科学的じゃないじゃん、と思われた方。そうでもないんですよ。実際、目的論的思考は、科学の発展と密接に結びついてきました。そのうちのいくつかは乗り越えられ、いくつかは生き残った。そう、今でも目的論的思考は息づいているのですよ。では、どんな仕方で?というのが今回のテーマです。 しかしその前に、そもそも、物事を説明するとはどういうことでしょうか。とりわけ「科学的に

    説明とは何か − (1) 目的論
  • なぜ・何を・どうやって科学者に科学哲学を教えるのか - まとまり日記

    という論文を読んだ(リンク)。著者はスウェーデンの科学哲学者で、科学哲学が科学者及びその卵である理系学生に貢献できる理由と方法について書いてある論文だ。 なぜ教えるのか 科学者やその卵である理系の学生にに科学哲学を教えるべき理由として、著者は方法論的な理由を強調する。科学者の養成過程で、学生はその科学の方法論についても学ぶ。しかし著者の見るところ、その方法論にはきちんとした正当化を欠いたまま教えられているものがあるという。著者の挙げるのは次のような例だ。 経済学では単純なモデルが尊ばれる。たとえばは著名なミクロ経済学の教科書の著者であるヴァリアンは「考えられうる限りで最も単純なモデルを書き付けて、それがなおなにかおもしろい振る舞いを見せているかチェックせよ。そしてもしそういう振る舞いを見せているなら、モデルをもっと単純にせよ」と述べる。しかし著者の見るところ、なぜ単純なモデルが優れているの

    なぜ・何を・どうやって科学者に科学哲学を教えるのか - まとまり日記
  • 哲学科に進まない人のための哲学書25冊 - 0000-01-01 - 呂律 / a mode distinction

    ※2013年5月くらいに書いたらしい書きかけの文書。 哲学史と哲学的論題 哲学史は問題の花園である。 それは ふつうの人は どんな問題に関わってはいけないか を教えてくれる。暮らしの中で そうした特殊な問題に出会ったときには、その問題が出ないところまで戻ってやり直すか、それを回避するようなプラクティカルな手立てを何か考えるべきだ。しかし哲学的な問題に うっかり哲学的に取り組んでしまわないためには 哲学を学ぶ必要がある。自分が特殊な問題に出会っていることに気づくためには知識が要るのであって、哲学者を目指さない人が哲学(史)を学ぶ 第一の・そして最大の意義はそこにある、と私は思う。 他方、職業哲学者たちは そうした ふつうの人が関わってはいけない問題に 人類を代表して取り組んでいるのだから、敬意をもって遇するべきであろう。 アナス&バーンズ『古代懐疑主義入門――判断保留の十の方式 (岩波文庫)

    哲学科に進まない人のための哲学書25冊 - 0000-01-01 - 呂律 / a mode distinction
  • サイエンスウォーズに関連して、日本でも一部の(科学)哲学者の科学批判の内容の誤りが科学者から批判されています(http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/modphys/11/Ohmori.pdf やhttp://www.math.tohoku.ac.jp

    サイエンスウォーズに関連して、日本でも一部の(科学)哲学者の科学批判の内容の誤りが科学者から批判されています(http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/modphys/11/Ohmori.pdf やhttp://www.math.tohoku.ac.jp