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ブックマーク / www.vice.com (5)

  • 舐達麻が舐達麻たる由縁! 高純度を追い求めた〈血・肉・音〉

    純度の高いドラッグであればあるほど、より深い快楽へと誘うように、表現の世界でも、ピュア性が高ければ高いほど、人の心を突き動かすはずだ。舐達麻が追い求めるのは、そんな混じりけのない世界。 舐達麻が舐達麻たる由縁を探るため、彼らの地元である埼玉県熊谷市に向かった。 今すごく注目されてきてると思うんですが、実感ってありますか? 賽 a.k.a.BADSAI KUSH(以下B):えっと。。。注目されたタイミングっていつなんですかね。 実感がないってことですか? B:はい。まだきてないですね。 個人的な肌感かもしれないですが、周りでもよく話題にあがります。 B:正直、金は超入ってきてます。だけど、今月その金が止まれば、注目されたとしても色物としてってことだから。バズるっていっても、実力か、面白おかしくてバズったのか、そのどっちかしかないと思ってて。色物っていうのは、そのとき、時代にマッチしただけで、

    舐達麻が舐達麻たる由縁! 高純度を追い求めた〈血・肉・音〉
  • 漫画村を追い詰めたハッカーが語る〈ブラックハッカー〉から〈ホワイトハッカー〉への道

    違法サイト〈漫画村〉が閉鎖した一連の事件は記憶に新しい。その裏で、容疑者を突き止めたひとりの若きハッカーがいた。かつては自らも違法行為をおこなっていたが、そんな彼が、ホワイトハッカーへと転身した経緯について聞いた。 ネット上の悪意と賞賛は、根っこが同じなのかもしれない。煽り、クソリプ、誹謗中傷、粘着、特定といった攻撃や、〈いいね〉を求める行為の多くは、他者から認められたいという〈承認欲求〉によるもの。顔の見えない他人からの書き込みに一喜一憂し、リアルな生活を脅かされる恐怖に翻弄されてまで、その欲を満たそうとするのは、SNS全盛時代の病理といえる。一方、ネットの悪と正義を明確に分けられるのかも疑問だ。素朴な正義感から火がつき炎上し、徹底的にターゲットを叩きのめす光景が日々、繰り広げられている。 「特定されるのが嫌なので、自分の住まいや見た目も定期的に変えています。匿名でいたいんです」と、語る

    漫画村を追い詰めたハッカーが語る〈ブラックハッカー〉から〈ホワイトハッカー〉への道
    dnsystem
    dnsystem 2019/12/06
  • ホタテはヴィーガンなのか?

    完全菜主義(ヴィーガニズム)のルールは、一見かなり明確だ。完全菜主義者であるヴィーガンは、動物由来の品をいっさい口にしない。つまり、彼らは肉だけでなく、ゼラチンなどの畜産副産物も控える。しかし、ヴィーガンの目的は人それぞれだ。動物愛護を声高に訴える者もいれば、熱心な環境保護主義者、そして健康や宗教上の理由から野菜中心の生活を選ぶ者もいる。さらに、目的以上に曖昧なのが、ヴィーガニズムを実践するさいのルールだ。蜂蜜をべたり、古着の革製品を身につけるヴィーガンもいれば、それらを完全にタブー視するヴィーガンもいる。 そして今、シーフードをヴィーガンと主張する〈シーガン(seagan)〉運動によって、状況はますます複雑になっている。シーガンはこう問いかける。新たな発見や解釈を通じて、生活のあらゆる面において社会的定義や分類が変化してきたのに、私たちはなぜ、二枚貝はヴィーガンに当てはまら

    ホタテはヴィーガンなのか?
  • 高級娼婦の宣材を撮り続ける女性カメラマン

    男女のカップル写真だけはムリ。一度だけやってみたけど、すごく倒錯してたわ。私が雇われたのは、自分たちがヤってるところを誰かに見せたいからじゃないか、って気がしたの」 ビジネスとしての性産業の合法性を政府が認めていようといまいと、カナダでは風俗業界で働く女性が何千人もいる。モントリオールの性風俗産業における最重要人物がDannyGirl(ダニーガール)だ。彼女は10年来、モントリオールの何千人もの娼婦(以下、エスコートガール)たちの写真を撮影してきた。彼女が撮った写真は、エージェントのウェブサイトや独立系風俗サイトに掲載され、エスコートガールと一晩過ごしたい、と願う顧客たちの股間を刺激し、高額を懐から引き出す。 ダニーガールは、一寸だけファッション・カメラマンとして働きつつも、約20年ヌード写真を撮影してきた。10年ほど前には、被写体をエスコートガールだけに絞った。「ハードディスクに入って

    高級娼婦の宣材を撮り続ける女性カメラマン
  • タンポンで膝下を失ったモデル ローレン・ワッサー インタビュー

    2012年、カリフォルニアのモデル、ローレン・ワッサーはトキシックショック症候群に罹患した後、右膝下を失った。現在、彼女は自身の経験にもとづいて他の女性たちを励まし、タンポン業界と対峙している。「いつもすべて理想どおりだった」ローレン・ワッサーは自らの身体についてこう語る。ワッサーの母親は20年以上にわたりモデルの仕事をしていた。「90年代、ステファニー・シーモアやシンディ・クロフォードのような女の子たちと一緒にね」。ローレンは何の苦もなく、同じ道に進んだ。子どもの頃、彼女は母親と共にパリ、ミラノ、ロンドン、ニューヨークを撮影のために旅行した。彼女の初モデル仕事はパトリック・デマルシェリエが撮影。その当時、彼女は生後2か月であり、泣いてばかりで、カメラの前にいたことすら憶えていないが、ローレンがプロフェッショナルなモデルの道を歩み始めたのは、選択というよりは必然だったようだ。彼女の父親さえ

    タンポンで膝下を失ったモデル ローレン・ワッサー インタビュー
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