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ブックマーク / tiheisen1839.hatenablog.com (3)

  • 制度論 - 1839年の地平線

    「美術館はスポンサーに働きかけるために文化的権威と信用が必要なのです。そして画家も同じでしょう。かくて依存のあらゆる回路ができあがります。画家たちは市場に出ていくためにも、公的な援助を得るためにも、美術館で展示することを必要としています。美術館はスポンサーを得るためにも、公的決定機関から評価される必要があるわけです。こうして圧力と依存が交叉した全体ができあがり、たとえ抵抗があるとしてもこのような構造が機能し続けるわけです。」 ブルデュー  自由‐交換―制度批判としての文化生産 ブルデュさんはどこかで社会学は制度批判の学であると言っていたような、いなかったような。

    制度論 - 1839年の地平線
  • 対話編 その2  イメージを逆なでする 写真論講義 理論編 前川修  をながめる。 - 1839年の地平線

    対話編 その2  イメージを逆なでする 写真論講義 理論編 前川修  をながめる。 〇どんな ●写真という現象をストレートに考えて行くというではなく、すでに書かれた、かなり古い写真論(と書いた人)を評論するという、言ってみれば「写真論」論という体裁の。あとの方で様々な写真現象に言及したページもあるが、小難しく書いた随筆(試論レベルではない)のようだ。 〇面白かったか ●面白くはなかった、業界誌(紀要)に業界用語で書かれた文章が面白いことは少ないと思う。 〇なにが面白くない要因だと思うのか ●いくら写真を狂言回しにしているとはいえ、とても自由なマルクス主義思想家、プロフェッショナルな哲学者や社会学の代表選手を相手に評論するのはのはいろいろしんどいだろう。 そして、これらの人の肩の上に立って、写真という世界を多少とも新しい視点で眺めるのではなく、よく解らない主題と言葉では伝わらない。また

    対話編 その2  イメージを逆なでする 写真論講義 理論編 前川修  をながめる。 - 1839年の地平線
  • ポートレートを撮るとき、その人の何をーおそらく本質だろうと思いますがー見て撮るのですか。 - 1839年の地平線

    ポートレートを撮るとき、その人の何をーおそらく質だろうと思いますがー見て撮るのですか。 そうじゃないのよ。こういうおかしな質問をしてくる人がいるよのよね。ああしろこうしろと指図しないし、やりたいようにやらせておいて、私に見えた時に撮るの。見えなかったら撮らない。ポートレートの魅力は、誰もが違った顔をしていることね。 イモジェン・カニンガムへのインタビュー (後半部分省略)

    ポートレートを撮るとき、その人の何をーおそらく本質だろうと思いますがー見て撮るのですか。 - 1839年の地平線
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