ボスニア東部スレブレニツァ近郊ポトチャリにある共同墓地で、新たに身元が確認された1995年の虐殺の犠牲者775人の共同埋葬に参加した女性(2010年7月11日撮影)。(c)AFP/DIMITAR DILKOFF 【7月21日 AFP】1995年夏。フランス革命記念日(Bastille Day)に仏軍が行う演習を取材するためクロアチアにいた私に、AFPの編集長から電話が入った。ボスニアへ行けるか?ボスニア東部の町スレブレニツァ(Srebrenica)がセルビア人勢力の手中に落ちたところだった。 もちろん私は「イエス」と答えた。ボスニアまでの旅費はあるか?いいえ。車は?いいえ。記者としては珍しく、私は運転免許さえ持っていない。でも、南スーダンやルーマニア、パレスチナ自治区ガザ地区(Gaza)での取材を通じ、現場へ行けばいつも小さな奇跡が導いてくれることを知っていた。 最初の奇跡は、クロアチア南