最初、『ドラゴンクエスト』(以下、ドラクエ)が映画化すると聞いて「正気か!?」と思った。 『ドラクエ』、それも『ドラゴンクエストV 天空の花嫁(以下、DQV)』は映画化と相性が悪いからだ。 もともと『ドラクエ』は主人公などのキャラクター性が薄く、プレイヤーの想像にゆだねられている部分が大きいRPGだ。そこに性格付けしてボイスを入れるだけで「こんなの俺の××じゃない」と、想像と映画での解釈の差で苦しむものとなる。この記事では、私がそんな映画をどう思って見たのか、どこに意義を見出したのか、ということを書いていきたい。 数ある『ドラクエ』のなかでも、『DQV』を映画化するとなると狂気の沙汰としか思えない。 『DQV』には結婚相手を決めるイベントがあり、その選択で展開が変わる。ビアンカ派とフローラ派がいて、そのどちらも納得できる過程と結末を見せねばならない。キャラクターにもこだわりがあるから、より