思いつきなんですが、医療崩壊史の年表を作ろうと考えています。記録にしてまとめておくのは大事ですからね。ボチボチ叩き台の作成にかかっているのですが、枝葉末節を含めると膨大な情報量ですし、そもそも起源をどこから始めるのかの問題もあります。私もそれなりのウォッチャーのつもりですが、すべての情報に精通している訳ではありませんし、忘れた事も多々あります。 そこで賢明なるコメンテーターの皆様へのご協力をお願いする次第です。募集情報は、 起源をどこに置くか。 年表に記載しておく重要情報(年月日入り)断片的でも構いませんから、お寄せ頂いたら嬉しく思います。起源については意見が割れる部分も多いとは思うのですが、ある年を元年として、それ以前を紀元前とするような構成を思い描いています。それだけに元年はそれなりに象徴的な事件をおけたら好都合と考えています。 それと前もってお断りしておきますが、暫定版レベルまで完成
日本周産期・新生児医学会主催の新生児蘇生法・実技講習会の公認教材。分娩にかかわるすべての医療従事者のために、確実に新生児蘇生法の基礎知識と実技が修得できることを目的に、イラスト・写真などを多用してわかりやすく解説。 胎児心エコーについてわかりやすく記述されたQ&Aのレッスン方式のテキストブック 一世紀にわたる世界の産科学のバイブル、ウイリアムス産科学(第23版)。世界各国おしなべて産科医に「代表的な産科学の教科書は何か」と問えば、躊躇なく本書を第一にあげるであろう。またあらゆる産科学の教科書は本書をモデルにしており、いわば産科学のバイブルといっても過言ではない。 婦人科学の定評ある標準的テキスト第14版。全面改訂され、全編フルカラーとなった。 初版が1940年に発行されてから実に66年になる。その間、数年おきに改訂版を出して、常に最新の知識を提供し、標準的テキストブックとして世界中の婦人
臨床研究の信頼性向上に必要な「利益相反に関する指針」を整備している医学系の学会は、全体の約2割にとどまることが、日本医学会(高久史麿会長)の調査で15日明らかになった。欧米の主要な医学会は同様のルールを持ち、日本医学会は「学会の意識改革が急務だ」と指摘している。 調査は今年6月、日本医学会に加盟する国内の医学系学会108団体に策定状況などを尋ね、107学会が回答した。 その結果、利益相反に関する指針を策定済みの学会は21.5%。「今年度中に策定予定」が22.4%、「策定時期は未定」が33.6%だった。指針の有無にかかわらず、臨床研究の結果を公表する際、利益相反があれば自己申告するよう会員へ求める学会は、学会発表で3%、論文発表でも33.6%にとどまった。論文投稿規定に、利益相反の公表方法を明記していない学会も半数近くあった。 臨床研究の結果は、病気の治療や予防に影響を与える。学会はそれらの
扁桃(へんとう)とはのどを囲むリンパ組織のことだ。のどの入り口の両側にある「口蓋(こうがい)扁桃」や、鼻の奥にある「咽頭(いんとう)扁桃」、舌のつけ根にある「舌扁桃」などがある=図。細菌やウイルスのような外敵を撃退する役割を持つ。 一般的に口蓋扁桃を扁桃と呼ぶ。「患者を生きる 保田圭の卒業」で紹介した保田圭さんが摘出手術を受けたのも口蓋扁桃だった。 扁桃炎は、溶血性連鎖球菌などによる細菌感染や、アデノウイルスなどによるウイルス感染によって起きる。細菌やウイルスは、どんな人の扁桃にも常にいて、疲れなどで体の抵抗力が弱まると炎症を起こす。 のどの痛みや発熱のほか、扁桃に「膿栓(のうせん)」と呼ばれる白い膿(うみ)が付いたり、患部から離れた場所に痛みが出る「放散痛」という症状が出たりする。 子どもの時から扁桃炎を繰り返す人もいれば、保田さんのように大人になって発症する人もいて、理由は完全
アイドルグループ 「モーニング娘。」(モー娘<むす>。)の元メンバー、保田圭(29)は、国際医療福祉大三田病院(東京都港区)で2009年9月に扁桃(へんとう)の摘出手術を受けた。 「実は…入院してましたのよん」 退院してすぐ。自身のブログで、98年のデビュー直後から扁桃炎に悩まされ、摘出手術を受けたことを初めて公にした。「扁桃腺体験記」と題し、手術を決心するまでの迷いや不安、手術後の生活について書いた。 「同じように扁桃炎でつらい思いをしている人の役に立ちたい」。保田は、そう考えるようになっていた。 痛みが一番の不安だった。手術から数日たつと、せきが出てそれまでとは違う痛みを感じて心配になったが、かさぶたがはがれたためだった。耳には、離れた場所に痛みが現れる「放散痛」という症状が出た。 手術から10日ほどたつと、痛みで出しづらかった声がほぼ元に戻った。ブログでは、味覚障害などの副
デビュー以来ずっと苦しめられてきた扁桃(へんとう)炎を治すため、扁桃をとる手術を翌日に控えたアイドルグループ「モーニング娘。」(モー娘〈むす〉。)の元メンバー保田圭(29)は、2009年9月半ば、国際医療福祉大三田病院(東京都港区)に入院した。 手術の朝、主治医の渡邊雄介・耳鼻咽喉科(じびいんこうか)部長(44)が病室にやって来て、「昨日はちゃんと眠れましたか。何か聞いておきたいことはないですか」と声をかけた。 保田は「何もありません」と答えた。 その2時間後に手術室に入った。「麻酔入れていきますね。ちょっとせきが出ます。せきが出たら意識がなくなります」という麻酔科医の言葉通り、深い眠りに入った。 保田は仰向けの状態で、患部がよく見えるように、頭をやや斜め下に倒され、口を3センチほど開いた状態で固定された。 渡邊医師は、そのすき間からメスを差し込んで、軟口蓋(なんこうがい)という
アイドルグループ「モーニング娘。」(モー娘〈むす〉。)を「卒業」した保田圭(29)は、2006年には、国際医療福祉大三田病院(東京都港区)の渡邊雄介・耳鼻咽喉科(じびいんこうか)部長(44)に、扁桃(へんとう)炎の治療を任せるようになっていた。所属事務所からも近かった。 「3日後にディナーショー。1日2回公演。点滴」「38度の発熱。朝から寒気がして来院」「ディナーショーのリハーサル中。膿栓多量」。保田のカルテには、渡邊医師のそんな書き込みが並ぶ。時間が取れず、点滴を受けられない日もあった。 09年2月。いつものようにのどを腫らして受診した保田に、渡邊医師は、先端に小さなカメラがついた細長い棒状の機械を使って扁桃をモニター画面に映し、状態を説明した。そして、「手術、考えてみたら」と言った。年に4回以上、扁桃炎を繰り返すようなら、扁桃を摘出するのが一般的だった。 「歌に影響しないですか。
アイドルグループ「モーニング娘。」(モー娘〈むす〉。)の元メンバー、保田圭(29)は、デビュー直後から悩まされた扁桃(へんとう)炎のため、2001年の正月コンサート直前に入院した。 コンサート3日目にようやく復活。ステージでは「みんな心配かけたけど、完全復活したぞー!」と、元気よく振る舞った。 扁桃炎との闘いは続く。細菌をやっつけて炎症を抑えるための抗生物質と、のどを潤すための吸入器を、いつも持ち歩いた。 「やばいかな」。のどに異変を感じるとすぐに抗生物質を飲み、なるべく早く受診した。数日後には高熱が出ることがわかっていたからだ。抗生物質がかばんに入っていないと、不安でしょうがなかった。 ひどい時は月に2、3回も炎症を起こし、気づけば1カ月間ほぼ毎日、抗生物質を飲み続けたこともあった。「だんだん腫れがひきにくくなっているな」。そう感じた。 受診できるのは、いつも仕事を終えた夜遅く
扁桃炎による高熱が続き、「仕事を続けられないと考えたこともある」と話す保田圭さん=東京都港区、麻生健撮影 2009年師走。 女性アイドルグループ「モーニング娘。」(モー娘〈むす〉。)の元メンバー、保田圭(やすだけい)(29)は、東京・池袋で約300人の観客を前に、「ロマンチックにヨロシク」の主役の一人として舞台に立っていた。 演じるのは、この日で店をたたむスナックのママ。付き合っていた男から暴力を受けたうえに借金を背負わされたこと、一時は店の経営に行きづまったこと――。過去を客や従業員に語る場面から物語は始まる。5分半のせりふが、保田の口からよどみなく流れ出た。 歌手を夢見て誘拐事件を起こした少女、家出した娘に死なれてしまった母親という、ママの過去と未来を交差させながら、物語は進んでいく。 従業員たちを帰し、一人残ったママがいすに腰を下ろし、つぶやくように歌い始める。伴奏はない。
東京女子医大病院で心臓手術を受けた女児の死亡事故で業務上過失致死罪に問われ無罪が確定した医師(46)が、毎日新聞医療問題取材班の書籍で名誉を傷つけられたとして、発行元の集英社と取材班の記者に200万円の賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第3小法廷(田原睦夫裁判長)は16日付で、集英社と記者の上告を棄却する決定を出した。80万円の支払いを命じた1、2審判決が確定した。 問題になったのは集英社新書「医療事故がとまらない」。医師の装置の操作ミスが原因との記載について、東京高裁判決は「02年の新聞連載時は真実と信じる相当の理由があったが、03年の書籍発行時では外部学会が否定的な見解を示していた」と判断した。 集英社広報室の話 当方の主張が認められず、誠に遺憾です。
僕はこれまで、飛行機内で「機内にお医者様はいらっしゃいませんか?」という放送を聞いたことがありませんでした。「あれはドラマの中だけのお話」と思っていたところ、先日、広島から東京へ向かう新幹線の車内で「お医者様あるいは看護師の方はいらっしゃいませんでしょうか?」という放送が流れました。 込んでいる車内を抜けて現場へ到着してみると、男性が1人倒れていました。僕は女性しか診たことがありませんので、そのまま通り過ぎようかとも思いましたが、万が一この男性に子宮や卵巣があればお役に立てるかもしれないと考え直しました。幸い、その場では大事には至らず、本来は停車しない駅で新幹線を止め、救急車で患者さんを搬送しました。ホッと一安心しましたが、こういう場合にどういう対応をとるべきか、医療従事者の間で議論が起こっています。 もしも僕が救命処置をしたことで、この男性が悪化し亡くなったらどうなるでしょう。ほとんどの
ポロシャツ姿で赤ちゃんを診察する池田和茂院長(左)とキャラクター絵柄のシャツを着用した看護師(中)=堺市北区のいけだこどもクリニック看護師や薬剤師など、職種は違っても同じボタンダウンシャツにカーディガン姿で会議する病院スタッフ=兵庫県姫路市の中谷病院 医者のトレードマークとも言える白衣を診察室で着ない医師が、小児科や心療内科を中心に増えている。患者の緊張感を和らげる効果や動きやすさ、衛生面など狙いは様々。中には「患者中心の医療を阻む」として白衣を全廃した病院も。ポロシャツやワイシャツで診察する姿は、患者からも好評だ。 東京都東村山市の西武東村山駅前に、昨年10月に開業したばかりの小児科「どんぐりキッズクリニック」。石井ちぐさ院長(41)はアンパンマンなどアニメのキャラクター入りのシャツで診療にあたる。 約15年間の勤務医時代は白衣を愛用していた。だが、「白衣姿を見ただけで怖がる子ども
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