とどのつまり、企業勤めのひとの「学問」観に根差す問題なのだろうな。 あえてイメージで言うけれど、大学はろくに出席せずに卒業できた、大学の勉強など社会に出たらなんの役にも立たない、という「経験」を持っているひとがいま社会の中核にいるのがいかんのではないか。
![伊藤 剛 on Twitter: "とどのつまり、企業勤めのひとの「学問」観に根差す問題なのだろうな。 あえてイメージで言うけれど、大学はろくに出席せずに卒業できた、大学の勉強など社会に出たらなんの役にも立たない、という「経験」を持っているひとがいま社会の中核にいるのがいかんのではないか。"](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/45fd2f7df0aa550e76a421cba122de6db504a815/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpbs.twimg.com%2Fprofile_images%2F1528017248149192705%2FFsq1GRiL.jpg)
防災とか教育(地理・地学)などについての議論が深夜のTLに。 そのまま流してしまうのは惜しいので、捕捉した範囲ですがまとめてみました。 ところで、こういうネタのカテゴリ選択は難しいですね。
事務作業に追われ、授業や研究に余裕をなくす教員。 Q:このサイトでは、研究者に仕事術をお聞きしていますが、今回は「番外編」として、ハーバードやMIT(マサチューセッツ工科大学)が拠点を置く、ボストンの大学街に10年ほど住まわれ、また、自らも大学院で学ばれるなど、アメリカの大学教員達の仕事術を間近で見られてきたご経験から、お話を伺いたいと思います。まずは、海外から見て、今の日本の大学の課題はなんでしょうか。 このインタビューでは、私が身近でよく知る、ハーバードやMITなどを例に話すことになりますが、こうしたトップ大学にも、様々な問題が存在します。ただ、日本のトップ大学では、改善すべき点が、さらに多くあるように思えます。そのひとつが、徹底的な知的探求を奨励する、学習環境の欠如です。勿論、日本にも優秀な方々が多々存在していますが、テーマを深め、意義あるフィードバックをもらい、多角的な視点から物事
卒業論文の指導を放棄した大学教授 大学における「卒論」と「指導」の在り方 色々モメているが、要するに「卒論指導」には意味があるのか?ってことですな。 「あるに決まってるじゃん」って話をしたいと思います。 僕は学部時代にとある先生に出会ってこの世界に入った。先生からは学問の正にイロハを教わって、学問だけではなく生き方みたいなものまで教わって、もうなんかどれだけ感謝してもし足りない人だ。でもこの先生は、決して論文指導はしない人だった。卒論の時も修論の時も「試験ですから、できたものを持ってきてください」と言う。だから構想段階でのアポみたいなものは一切なし。提出したものに対しても、そんなに詳しいコメントをくれるわけじゃなかった。 まとめ内、渡邊芳之氏のツイート 何度も書いたことだけど,私の指導教官は私の修論についてはでき上がったものを見て「急いで書いたでしょ」と言った以外,なんの指導もしなかった。
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