ここのところ、ジェンダー問題への言及を増やしている。大きかったのは、『こころと文化』に寄稿した論文で、福島事故後の復旧過程におけるジェンダー問題を考察してみたことだ。 自分でも考察してみて驚いたが、復興のプロセスにおいて、女性の存在(活躍)が「なかったこと」にされていく動きが鮮明に浮かび上がってきた。そして、このまま黙っていたならば、まちがいなく私もいなかったことにされるのだろう、と確信を抱くことになった。 思い当たる節はいくつもある。 私は、女性ではあるが、ジェンダー規範として割り当てられている「ケアする女性」としての役割を踏み越えた動きもしてきた。ダイアログの運営もそうであるし、言論活動もそうだ。だが、報道のなかで言論にまつわる部分は、自分がすーっと避けられている、という印象をずっと抱いていた。 今回、処理水についてダイアログを開いたのだが、私は、処理水についての論考をいくつかこれまで