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ブックマーク / hotatelog.cocolog-nifty.com (13)

  • 日本史の時代名と時代区分(再論) - 保立道久の研究雑記

    史の時代名と時代区分(再論) 歴史科学協議会編の『歴史学が挑んだ課題』(大月書店)に「前近代日の国家と天皇」という論文を書いて以降、日史の時代名、つまり「古墳時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、南北朝時代、室町時代、戦国時代、安土桃山時代、江戸時代」という時代名がおかしいという感じがきえない。 これらの言葉を見るたびに違和感である。だいたい、時代名の付け方が、時代名を作ってきた成り行きまかせで恣意的すぎる。下手に専門知識のある人は、そんなことにこだわってもしょうがない。もっと細かいこと、高級なことに興味があるのだなどという気分の人もいるだろう。所詮、時代名などというのは符丁であって議論してもしょうがないなどというのっては、話はすべて無駄。 これらのうち、おそらく学術的にいって問題がないのは、古墳時代くらいではないだろうか。そこで、容易に賛同をえられないであろうことは分かっ

    日本史の時代名と時代区分(再論) - 保立道久の研究雑記
    egamiday2009
    egamiday2009 2017/10/25
    “井上章一氏から、こういう時代名は大阪無視ですよといわれた。これは正論だと思う。最近の大阪の政治はあまりに文化を無視しているが、これを取り戻すには、歴史観から変えていく必要がある”
  • 日本文化論と神話・宗教史研究ーー梅原猛氏の仕事にふれて - 保立道久の研究雑記

  • 欧米の日本史関係研究者の「日本の歴史家を支持する声明」 - 保立道久の研究雑記

    欧米の日史関係研究者の「日歴史家を支持する声明」がでた。新聞で大きく報道されている。 日の一人の歴史家として感じるのは、まず、日のマスコミはアメリカからのニュースを事大主義的に大事にするということである。馬鹿ではないか。 歴史家の仕事は過去を共有する(記憶が同じ)ということを目指すということである。未来を共有する、未来と希望を共有することによって人間は集まるというのはしばしば幻想であって、実際には過去を共有することによって、人間は同じ未来に入っていく。走馬燈のように人生の諸局面が目前にあらわれてくるというが、それは過去を俯瞰する形で人間の知識・意識・感情がスピードをもって自己点検のサイクルに入ることをいう。 宇宙の晴れ上がりというのはビッグバンのあとにくるというが、過去の晴れ上がりということがあるだろうというのが歴史家の確信である。晴れ上がった過去を眼前にして、未来へ進んでいく。

    欧米の日本史関係研究者の「日本の歴史家を支持する声明」 - 保立道久の研究雑記
    egamiday2009
    egamiday2009 2015/05/12
    「理解する」のにかかるコストがあるとしたら、それをどこが負担するか、ということになるかなあ。
  • 歴史学と民俗学について。 - 保立道久の研究雑記

  • 歴史学のすすめ - 保立道久の研究雑記

    「基の30冊」(日史研究)人文書院、というを書いているが、ようやく終わりつつあり、最初の部分を書いた。歴史学のすすめのような文章になった。 歴史学は若く新しい学問である。歴史学らしい歴史学、つまり史料の堅実な操作にもとづいて歴史の変動の総体を考察する歴史学の成立は、人文社会科学の中でもっとも遅く、ヨーロッパでも19世紀からである。しかし、日歴史学はもっともっと若い。 つまり、日歴史学の場合、その格的な学術的出発は1960年代、今から約50年前のことにすぎない。私は、日史研究の分野でそれを象徴するのが、中央公論社からでた『日歴史』シリーズだと思う。あの茶色いであるが、私などは、まだあのに愛着がある。私が好きで実際に影響をうけたのは、青木和夫『奈良の都』、佐藤進一『南北朝内乱』、永原慶二『下克上の時代』、そして佐々木潤之介『大名と百姓』などである。このシリーズの著者は

    歴史学のすすめ - 保立道久の研究雑記
  • 歴史とは何か--三木清『歴史哲学』について - 保立道久の研究雑記

    必要があって、久しぶりに三木清『歴史哲学』を読んだ。やはりよいものだと思う。 30冊のために書いたが、「『日史研究』」というよりも、歴史学論(というよりも『歴史哲学』)になってしまったので、このまま出すかどうかはわからない。 はじめに 歴史学が文学と同じなのは、ともかくを読むのが好きでなければならないということである。そしてある歴史書の描く時代に入っていくことは、われわれが文学の世界のなかに入っていくことと、どこか似ている部分があると思う。 ただ、歴史学の研究をしてみようということになると、そのを書いた歴史家の他の著作や、その著作に引用された他の学者の仕事を読んでいくことになる。研究を進めるために、それらの歴史家の仕事の全体にむきあい、そこに自分を同調させていくのである。もちろん、最初のうちは、一人で、自己流で進むことはできる。ともかくも史料を読んでいくという形で研究を進めることがで

    歴史とは何か--三木清『歴史哲学』について - 保立道久の研究雑記
  • 歴史家と読書――生涯に100冊の本を徹底的に何度も読む。 - 保立道久の研究雑記

    歴史家と読書――生涯に100冊のを徹底的に何度も読む。 総武線のなか。今日は授業。 先週は打ち合わせだったので、今日が当の開始。 最初に「歴史学における読書」という話をするつもりで、そのメモを作ろうと思う。 昨日、書斎の整理をしていたら、『大塚久雄ーー人と学問』(みすず書房)みがでてきた。 このは大塚先生の著作集を編集した岩波書店の石崎津義男氏が先生からの聞き取りにもとづいて先生の逝去の後に出されたもの。大塚さんの伝記としてつかうことができるである。前は机辺においていたのだが、しばらくみないと思っていたら、別の机にあった。 なつかしく読んでいたら、大塚さんが「自分の読んだはせいぜい一〇〇冊だろう」といったとある。これは100冊のを徹底的に読んだということだろう。石津さんは、大塚さんの、この断言自身、あるいはその数の少なさに驚いているが、大塚さんの100冊のなかにはマルクス・ウェ

    歴史家と読書――生涯に100冊の本を徹底的に何度も読む。 - 保立道久の研究雑記
  • 図書館の機能、マイブックリスト - 保立道久の研究雑記

    昨日から机辺の片付けで尾野善裕氏からいただいた抜き刷り「古代尾張における施釉陶器生産と歴史的背景」(『新修名古屋市史 資料編 考古2』二〇一三年)をしかるべきところに整理するために、もう一度読んでいる。9世紀の淳和院論として屈指のもの。戸田芳実氏が読んだら、当に喜ばれるだろうと思う。 考古学はここまで来ているのだということを感じさせる。このレヴェルをふまえて、以前書いた「古代末期の東国と留住貴族」を手直ししないとならない。 写真は昨年、夜、京都にいったときにとったもの。まったく予期しておらず、石柱に接して、ここが淳和院かというので驚いた記憶。 尾野論文に引用されている論文で未見のものがある。 研究所の任期がおわって不便なのはやはりすぐにをみることができないということ、とくに雑誌論文がみにくいということである。そこで、雑誌論文については、国会図書館の複写サービスを使うことにして、今日、申

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  • 富田正弘『中世公家政治文書論』(吉川弘文館、二〇一二年) - 保立道久の研究雑記

    情報化によって圧倒的な量の史料を処理するようになっているが、歴史学は、ともかくも史料を読むことから出発する。私などは、大学院の頃、『平安遺文』という全一一冊からなる平安時代の全古文書集をともかくも読んだ。一年もそれをやっていると、特定の歴史用語や地名などが、『平安遺文』の何冊目の真ん中辺の右頁にあったなどという形で、頭のなかにページのイメージがたまってくる。ところが、現在では『平安遺文』、さらに『鎌倉遺文』も、編者の竹内理三先生の御理解によって東京大学史料編纂所からフルテキストデータがオープンされており、これによって任意の言葉、活字の用例表を一瞬で自分のPCに落とすことができるようになっている。これは大学の内外をとわず、歴史学の研究を多くの人々に解放し、研究をやりやすくしたという点で絶大な意味をもっている。 しかし、歴史家は史料を読むことによって、自我の中に独特な記憶領域のようなものを形成

    富田正弘『中世公家政治文書論』(吉川弘文館、二〇一二年) - 保立道久の研究雑記
    egamiday2009
    egamiday2009 2013/10/14
    #百合文書
  • 地震火山82ラフカディオ・ハーンとTsunami - 保立道久の研究雑記

    『津波の後の第一講』(岩波書店)の中の今福龍太氏の文章を読んでいて、ラフカディオ・ハーンの津波についての英文につきあたった。下記のようなもの。入れてくれた子供に感謝。 From immemorial time the shores of Japan have been swept, at irregular intervals of centuries, by enormous tidal waves, ―tidal waves caused by earthquakes or by submarine volcanic action. These awful sudden risings of the sea are called by the Japanese tsunami. The last one occurred on the evening of June 17, 1896,

    地震火山82ラフカディオ・ハーンとTsunami - 保立道久の研究雑記
    egamiday2009
    egamiday2009 2013/02/15
    「津波のことはTsunamiというのは知っていたが、その最初がハーンの、この英文であった」
  • アイパッドとデータベース - 保立道久の研究雑記

    今日帰りに郷三丁目の駅で、以前、ゼミをもっていた時の院生のK君がベンチにいたので、「どうしてる」という話しになって、電車に乗りながら、彼が書いているという論文についてのアドヴァイスをした。たしか、こういう史料とこういう史料があったはずだ。永原先生のあの論文を読んで、それからこの言葉を調べてという話しをしたら、彼が、やおら、カバンから薄っぺらいものを取り出した。「これはアイパッドであろうか。この前、同年輩の仲間との合宿でT氏がもっていたのをみたが、あれよりは、さらに薄っぺらいように思うけど、メモでもするのだろうか」などと見ていたら、史料編纂所のホームページにアクセスをして、『平安遺文』のデータベースを引きだしたので驚いた。 彼が、その言葉を入力して検索をかけるのに10秒ほどだったろうか。もうそんなことができるのだと感心した。もちろん、仕事では職場のコンピュータでよくデータベースは使うが、地

    アイパッドとデータベース - 保立道久の研究雑記
  • イリノイ大学のロナルド・トビーさんの受賞 - 保立道久の研究雑記

  • 9世紀火山地震(5)ーー貞観地震 - 保立道久の研究雑記

    先ほどのテレビで「貞観地震」という言葉を聞いた。貞観地震の史料を紹介する。貞観年間は九世紀、859年から877年。問題の東北の貞観地震は貞観十一年、西暦でいうと869年にあたる。 九世紀が「大地動乱の時代」であることは、『かぐや姫と王権神話』で論じたが、そこでは火山が中心であった。火山活動が活発であるということは、九世紀が地震の激発期であったことも意味している。 三月一一日の列島東海岸大地震の状況を知ると、若干でも歴史データを記しておきたいと思う。そこで、九世紀の地震と貞観地震のデータについて、しばらく読みの作業を報告することにする。 まず、「貞観地震」といわれているものは、下記の『日三代実録』(『国史大系』)の貞観十一年五月廿六日条に記録がある。これはユリウス暦でいうと869年年7月9日にあたる。 陸奥国の地、大いに震動す。流光、昼の如く隠映す。このころ、人民叫呼して、伏して起きること

    9世紀火山地震(5)ーー貞観地震 - 保立道久の研究雑記
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