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ブックマーク / www.newsweekjapan.jp (2)

  • 中国衝撃、尖閣漁船衝突

    11日に尖閣沖で起きた中国漁船とギリシャ貨物船の衝突により、中国漁民を日の海保が救助したのを受け、中国の海警は何をしていたのかと中国のネットが炎上。面目丸つぶれの中国政府は日へ謝意。衝撃が走った。 尖閣沖で衝突事故 第11管区海上保安庁によると、11日5時頃、尖閣諸島沖の公海上で、中国漁船「○晋漁05891」(○:門構えに虫。みん)とギリシャ船籍の貨物船「ANANGEL COURAGE」が衝突した。日の海上保安庁の巡視船は沈没した中国漁船の船員救助に尽力し、船員6人が救助され中国側に引き渡された。 11日の中国メディアは、日のメディア報道をなぞる形で、ただ単に文字で「中国側は謝意を表したとのこと」と、他人事のように書き、炎上するネットのコメントの削除に躍起になっていた。 しかし中国政府を非難するコメントは増えるばかりで、中国大陸のネットが炎上し始めた。 すると11日の夜になって、中

    中国衝撃、尖閣漁船衝突
    einoji
    einoji 2016/09/15
    '16 8/15 11日の中国メディアは、日本のメディア報道をなぞる形で、ただ単に文字で「中国側は謝意を表したとのこと」と…/非難するコメントは増えるばかりで、中国大陸のネットが炎上し始めた。すると11日の夜に…/遠藤誉
  • 抗日戦勝記念式典は、いつから強化されたのか?

    騒動の原点 毛沢東時代に行われなかった式典を始めたのは江沢民(江の肖像写真のそばに立つ衛兵) Jason Lee - REUTERS 毛沢東時代には行われていなかった抗日戦勝記念式典は、いつから行われるようになったのか? 習近平政権を読み解くには、そのきっかけと推移を考察し、逆行する対日強硬論の根源を探らなければならない。 大々的な式典は江沢民時代の1995年から始まった 8月26日付けのコラムで、「毛沢東は抗日戦勝記念を祝ったことがない」と書いたが、それならいったいいつから、そしてなぜ抗日戦勝記念式典を行うようになったのだろうか? まず結論から言えば、大々的な式典という形で開催し始めたのは江沢民時代の1995年からである。 式典という形でなく、北京やその他の地方における地域性の座談会的なものは、改革開放後の80年代初頭から徐々に始まっている。しかしそれも、江沢民が国家主席になるまでは、

    抗日戦勝記念式典は、いつから強化されたのか?
    einoji
    einoji 2015/08/30
    ’15 8/28 直接エリツィンのもとに走って行き、「中国の代表として発言を求める」とエリツィンに迫った。/この瞬間から、中国共産党の抗日戦争は「世界反ファシズム戦争」として位置づけられるようになった。/遠藤誉
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