責任を取らされる危険の度合いには圧倒的な差。RT @ekken: @Hideo_Ogura 遅レスすまぬが。「読んだ人が信じかねないガセネタを混ぜられる」のは、匿名・実名関係ないよね?
常日頃から云ってますが、客観的論拠に欠けるオレルーラーは相手にしません。 下記まとめコメ欄からの派生……とみせかけて、実はそうでもなかったりする。 ・匿名批判は卑怯? ずる? 脆弱? (http://togetter.com/li/164968)
歌人 枡野浩一/ピン芸人としての芸名は「歌人さん」 @toiimasunomo http://t.co/fE4nE2K 小谷野敦さんの日記を読んで。匿名批評についての私の考えを書いてみます。念のため言っておくと枡野浩一は生まれたときは本名でしたが今は筆名です。結婚して姓が変わり、離婚する時それを残しました。その戸籍名のみで私を認識してる人は、ほぼ0人です。→ 歌人 枡野浩一/ピン芸人としての芸名は「歌人さん」 @toiimasunomo →その戸籍名は親しい人には明かしているし、仕事先にも明かしているが、ネットなどでは積極的には明かしていません。じつは著作では暗に明かしているのだが、暗に明かしていると気づく人は少ないです。「もうひとつ名前があると面白いから」という理由で、しばらく秘密にしておこうと思っています。→ 歌人 枡野浩一/ピン芸人としての芸名は「歌人さん」 @toiimasunom
コミティア96と第十二回文学フリマで頒布したパンフレットの内容を、ダイアリーでも公開します。 なお、PDF版もありますのでお好みに応じてご利用ください。 ☆ 「ブログのコメント欄を閉鎖しました。私のブログの内容を匿名で中傷するコメントが昨日からたくさん来て気持ち悪いです。彼ら異常者は、私の批判が図星だから、匿名でコソコソとしか反論できないのでしょう。私はきちんと実名を名乗っているのですから、何か意見があるのなら実名で堂々と言いなさい。こうやって日本の若者が幼稚化していく様子を見るなんて、嘆かわしいものです。」 ネットで時々見かけるセリフです。上のような内容とまでいかなくとも、「インターネットではみんな実名を名乗るべきだ。そうすれば、匿名性を利用した中傷が減ってネットは平和になる」と信じている人が一部にいます。しかしそれは正しいでしょうか? 「実名」の反対は「匿名」ではない 本題に入る前に、
ネットにおける匿名・顕名あるいは実名の是非論についてよく考えている。 反論、というわけではないけれど、たくみさんの記事「ブログと署名記事の間・・ 」についてまた思うところがあるので、それをまとめてみたい。 ネチケットという言葉はもう死語になってしまった感があるが、ネットに表現場所を持っているものとして、しばしばネットマナーというものを考える。 確かに、ネット特有のマナーというものは存在するかもしれない。ただ、特有のものがあるとすれば、それの多くは技法的なものであり、ブログで特定の記事に言及すればTBを送って通知した方が親切であるとか、引用はリンクを貼った上で引用タグを使用してやれば読者に分かりやすい、などというような細かな話に過ぎない。また、リンクはトップページに貼りましょうとか、無断リンク禁止などというものはローカルルールに過ぎず、ネット上に提示しているものをリンクするなとかは阿呆な論理
継続的なネットでの活動を視野に入れるなら、ハンドル名は必須です いままで、日本において、ネットでなんらかの活動をするときは、ハンドル名をつけるというのが常識でしたが、facebookなどにより、実名で活動する、という選択肢が生まれました。人間という生き物は、自分につけるもう一つの名前ですら思いつかないという、基本的にクリエイティビティに乏しい生き物なので、これからネットデビューする人については実名の割合が増えてくるかと思いますが、それでもなお、ハンドル名で活動することをおすすめします。 なぜかというと理由は3つあります。 (1)ハンドル名は実名よりも覚えやすいから 仕事で間違いやすい名前ってありますよね。誰でも、「うーん、なんとか村さんか、村なんとかさんか、とにかく村がつく人」みたいなうろ覚えがあったりするものです。村岡さんとかって村田さんとか岡村さんと間違われてしまって困っていると推察さ
もちろん僕も**ずっと前にIDだけ作って放置している中の一人だ。**そしてしばらく使う気はない。なぜなら友達が全く使ってないから。僕が始めるとしたら友達がIDを作り出したタイミング、あるいはfacebook発の面白そうなイベントを見つけた時だろうか(twitterはこのパターンで使い始めた) 昨今のブームについてはそれだけだが、ちょっと思ったのはfacebookが浸透して実名Webが日本を侵食したらどうなるのか?ということ。正直、今回のブームを起こしたアルファブロガーが全員素直に実名を使ってたのは意外だった(「facebookを匿名で利用する方法」とか絶対書かれると思った)。良く考えればWebのオピニオンリーダーはIDと実名が紐づいてるから、実名を使う抵抗は少ないのかもしれない。 個人的には親や職場にバレさえしなければ(※1)実名を使うことに抵抗はない。リスクがない、とは言わないけど普通の
ログインネームは匿名でも偽名でもないことを知るべきだ と、 一般常識ブログマナーを訴える人と、全く話がかみ合わないたった一つの理由*ホームページを作る人のネタ帳 とを組み合わせると、「ネット上の公開リソースはもともと全世界から閲覧可能なのだから、それをTVや新聞で流して何の問題があるの?」という論理が生まれないだろうか。 TVや新聞は影響力が桁違いだからNG? ソーシャルブックマークの人気エントリーなんかは大した影響力が無いからOK? 紙媒体や電波媒体への転載はNGで、ネット内での転載はOK? TVや新聞などの "マスコミュニケーション" は人間の基本機構でなくただの商業行為だからNG? ハイパーリンクはネットの基本機構だからOK? …なんかスッキリしないな。「ネットは全世界に繋がっている」っていうのは確かにその通りだけど、それを都合のいい時にだけ振りかざしているような印象がある。
ときどき、「これはいい意見。増田じゃなければ」とか「増田じゃなくて日記で書けばいいのに」とか「分かるけど、匿名で書かれてもね」とかいうはてブコメントを見かけるんだけど、これらの意味がよくわからない。 匿名だから何なのか? 匿名だと、何か、価値が下がったりするの?よく、わからないのだけど。 書かれた主張・意見は、誰が書いたかに関わらずいいものはいいし、よくないものはよくない(勿論各人にとって、だけど)、それだけの話では?匿名が書いたから、間違ってる、とか、実名で書かれてるから、正しい、とか、それって同じ意見でも「ダンコーガイが書いてるから正しいんだお!」「増田だから間違ってるお」とどう違うのか。 偉い人がいってるから正しい、偉くない人が言ってるから正しくないとか、そういう「言った人」によって内容の判断を決めるなら内容なんて最初から無意味だし、そんな行為をして何になるのかと思う。つーかぶっちゃ
個人的なブログであっても、それがたとえ匿名のブログであっても、アホなことを書いた報いは来るのだ。実名で書いたから、立場を持って書いたから、というのは本質的な問題でない。アホなことを書いたという事実はアホな自分をさらけ出す結果をもたらす。教員としての肩書きのまま行ったことについては、それが周りに与える迷惑を考えていなかった、ということに尽きる。匿名であっても自らのプライドが打ち砕かれることにはかわりがない。 匿名で発言していればよかったのかというと、良かったのだろう。少なくとも、自分ひとりの問題で留まったからだ。自由な発言が規制されているわけでもない。アホな発言が叩かれるだけだ。アホの自覚があればあるほど匿名で発言する動機は高まる。匿名とはリスク回避そのものではなく、恥を知っているということでもあるのだ。 瀬尾准教授が所属している青山学院大の伊藤定良学長は08年4月25日に、ブログでの発言が
Latest topics > 本名は必要だったのだろうか 宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。 以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能! « ネットをバーチャルな物に過ぎないと言ってしまえる人は幸運だ Main Firefoxが勝たなければならない理由 » 本名は必要だったのだろうか - Mar 23, 2008 ネットがあったから僕は仕事にありつけた。でも、そこに「本名を晒すこと」は必ずしも必要ではない、というか、仕事にありつけるということと本名を晒すかどうかとは全然別の事だ。例えば漫画を描くときにペンネームだけで活動している人が、そのペンネームでプロの漫画家としてデビューするなんていうのは、よくあることだ。 「本名を晒すこと」の「メリット」は、「本名じゃなきゃ信用しない」とい
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匿名で情報のやりとりをする匿名ネットコミュニティと、実名で情報のやりとりをする実名ネットコミュニティとで、「棲み分け」をすることは可能でしょうか。 「棲み分け」というのが「お互いに言及したり干渉したりしない」ということを意味するのであれば、かなり難しいでしょう。実名ネットコミュニティは、匿名コミュニティからの攻撃等がなければ匿名ネットコミュニティの側を無視しても何らの支障も生じないのでしょうが、匿名ネットコミュニティの方はそうはいかないのではないかという気がしてなりません。もちろん、純粋に数学やプログラムを含む自然科学の分野では現実社会の特定の個人や企業等に言及しなくともある程度の会話はできるかもしれませんが、しかし、そのような話題だけで満足できる方々というのは層としてはそんなに厚くはないのではないかという気がします。かといって、匿名ネットコミュニティでは、自分の現実社会での活動に依拠した
このところネットでは実名匿名の話題が熱くなっているようです。ブログをはじめて間もない頃(といってもまだブログ歴8ヶ月ですが)、実名匿名関連のエントリを起こしたこともあって、そこからいろいろ考えたりしたりもして、その頃とは少し考え方が変わっているし、あとオープンIDという潮流もあったりして、エントリを起こした07年の8月頃とは少し、自分の考え方同様、世の中の空気も変わっているような気がします。 私は、ブロガーではありますが、ネットにはそれほど詳しくありませんし(かといってまったく知らないわけはないですが)、このブログを読んでいただいている人の多くも私と同じだと思いますので、まずは、オープンIDとはどういうものなのかを引用してみます。いろいろ見てみましたが、はてなの記述がわかりやすかったので、はてなの「はてなでOpen ID」というページから一部引用します。 OpenIDとは、様々なサービスで
ネット上の誹謗中傷にどう対処するか、匿名だから氾濫するのか。こうした問題について、匿名の尊重を訴える文筆家の松岡美樹氏に話を聞いた。 粘り強いコミュニケーションが道開く ――松岡さんは匿名主義という理解でいいのですか。ITジャーナリストの佐々木俊尚さんの「オープンID」や弁護士の小倉秀夫さんの「共通ID」といったネットIDの考え方に対しては、どのような立場を取りますか。 松岡 主義というより、匿名で情報発信したい人の権利が守られるべきという立場ですね。実名制はデメリットの方が多く、たくさんの人が気軽にネット参加できる世の中の方が面白いということです。ネットIDについては、佐々木さんにちょっと近いですが、私としては、ある程度縛りが強くなるとネットの良さが失われていく気がします。オープンIDは、誰がやり、誰がコストを負担するのかという問題があり、現実論から実現が難しいのではとも考えています。普
批評家でもない限り文章そのものについての客観的な評価はし辛い。好きとか嫌いとかはまあ主観だし、論理的な整合性がないとか一貫性が無いとかは評価できるけれども行間や全体の文脈、思想までを総合的に判断しての評価にはなかなかならない。単発のその一文をもって評価はしづらいし。 とはいえ、他人の言うことを殊更に腐すような場合にはその応答として感情が浮上しても仕方が無い。という前置き。 ネットメディアの反応の早さと、ノーサインの記事の嵐と、そのレベルの程度を感じさせる事になり http://news.livedoor.com/article/detail/3449465/ さて、ここで語られていることについて。まあ、反応の速さはネットの特徴でもあるし、いまさらそれを感じる感性でネット記者をやるというところに僕は危惧を感じなくも無い。で、ノーサインとレベルの程度*1に繋がりがあるという書き方をするというこ
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