近々新しい総理大臣が誕生するそうである。おそらくマスコミは「100代目、100代目」と騒ぎ立てるであろう。しかし、今度の新総理を伊藤博文から通算して100代目と数えるのは、アメリカ大統領をネイティブアメリカンの初代酋長から通算して数えるのに等しい暴挙である。 大日本帝国憲法と日本国憲法において内閣総理大臣の位置付けは明白に異なる。大日本国帝国憲法下において総理大臣は他の国務大臣と同格で、単なる同輩の首席にすぎなかった。そのため、閣内不一致となれば統率がとれなくなり、軍部の暴走を招いたという暗い歴史がある。一方、日本国憲法下においては内閣総理大臣が国務大臣を任命するので、閣内不一致は起こり得ない(意の異なる大臣がいれば、総理はその大臣を罷免すればいいだけのこと)。 日本国憲法は形式上、大日本帝国憲法の「改正」という手続きのもとに成立している。しかし、憲法には「改正の限界」というものが存在する