歴史に苦手意識を感じている理系の方もいらっしゃると思います。理系なのに、何故歴史を勉強しなくてはならないの…教えて!gooには、そんな思いを持つ方から質問が寄せられています。 「どうして歴史を勉強するのですか?」 質問者は理系で、歴史に苦手意識を持っているそうです。「歴史を勉強するコツなどもあったら教えてくれないでしょうか?理系の方で歴史が好きになった方の理由などもお願いします」と質問を寄せています。 ■理系でも歴史は役に立つ? 「理系だから暗記が苦手という考え方が、そもそも歴史を嫌いになる元になっているのではないでしょうか?(中略)…歴史はそもそも、なぜ勉強させられるのだと思いますか?常識的に知らなくてはいけないからという理由ではありません。自分たちのつくる未来を永続的に幸せなものになるために、過去の積み重ねと知識を体系的に学ぶために必要なのだと私は考えます」(kohronさん) 「『過
はじめまして。自称・お菓子作り考古学者の下島綾美(ヤミラ)です。わたしは、考古学をテーマに、「作って・食べて・学べる」スイーツを作っています。
戦国時代の城で現存しているものは皆無である。なにせ四百年以上前の建築物だけに、遺構が残っているだけで貴重、多くは地中深く埋もれているか、その歳月によって跡形もなく破壊されて消え去っているものも少なくない。そこで、考古学的アプローチで城郭を調査研究することで、その姿を浮き彫りにしようとする城郭考古学という学問分野が発展してきた。本書で、城郭考古学の第一人者である著者によって描かれるのは織田信長が拠点とした様々な城たちの姿である。 信長初期の城「勝幡城」「那古野城」「清須城」まず紹介されるのが信長出生の城、「勝幡城」である。信長の出生地としては勝幡城、那古野城、古渡城の三説があったが、近年、那古野城が織田家の支配下に入ったのが信長出生後ということが判り、那古野城とその奪取後に建てられた古渡城説が消え、勝幡城が信長出生地とされた。しかし、同城は江戸時代の治水工事によって城址の中心を日光川が貫き痕
1879年、およそ四百五十年に渡り続いた琉球王国は日本に併合(「琉球処分」)され滅亡した。滅亡後の琉球=沖縄は明治政府の支配下で伝統的共同体の崩壊と社会基盤の弱体化を招き、移民が認められた1900年代以降、大量の海外移民が送り出されていった。1940年の統計では海外移民のうち沖縄出身者は五万七千人、数だけなら広島・熊本に次ぐ三位だが、県の人口比では広島3.88%、熊本4.78%に対し沖縄9.97%でとびぬけて多い。全国平均で100人に一人が移民となったが、沖縄は10人に一人の割合であり、1920年代以降沖縄県出身移民は全国の移民の約20%前後を占めた。その中でもハワイへの移民が非常に多い。 本書は著者が1970~80年代に行った、まだ存命の頃のハワイ移民一世~二世への聞き取り調査の記録と、琉球王国の滅亡から二十世紀初頭までの移民を押し出す要因となった社会的背景について描いた一冊である。 本
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