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「水俣病の悲劇」とは何か:水俣病問題について
高倉史郎(水俣病患者連合事務局) 1988年3月、最高裁はチッソの元社長と元工場長を、2名の水俣病患者の... 高倉史郎(水俣病患者連合事務局) 1988年3月、最高裁はチッソの元社長と元工場長を、2名の水俣病患者の発症と死亡に責任ありとして、業務上過失致死罪を適用し有罪と判決した。起訴の遅延などによって責任範囲が著しく矮小化された判決ではあったが、公的にチッソ幹部の刑事責任が確定したのである。 問題となった1958年から60年ごろの水俣病事件史をふりかえれば、チッソのほかに原因など考えられない状況において、次々と人が死んでいくのを放置したことが許されるべきでないことは誰の目にも明らかだ。水俣病患者としてチッソや行政と激しく闘った故・川本輝夫氏は、早くから「水俣病事件は傷害・殺人事件だ」と断言していた。 2004年10月、最高裁が原告・水俣病被害者に対する国・熊本県の国家賠償責任を認めた。1960年1月1日以降、国・熊本県にはチッソの排水を止めるべき責任があったと断定し、それを怠った行政を厳しく罰し
2011/12/26 リンク