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古書の森日記 by Hisako:若松賤子が訳した明治の『小公子』 - livedoor Blog(ブログ)
先日、出張で福島の会津へ行く機会があった。会津若松市の観光地図を見ていると、「若松賤子の碑」とい... 先日、出張で福島の会津へ行く機会があった。会津若松市の観光地図を見ていると、「若松賤子の碑」という文字が目に入り、彼女の故郷が会津だったことを知った。 1864(元治元)年生まれの賤子は、フェリス和英女学校高等科(フェリス女学院の前身)の第一回卒業生で、成績が優秀だったため、同校でそのまま教えることになった。翻訳はその頃から手がけていたが、1889(明治22)年に、明治女学校の教頭だった巌本善治と結婚。「女学雑誌」に1890(明治23)年8月から連載した『小公子』(バーネット夫人原作)が、傑作として文壇から賞賛された。賤子の翻訳した作品は、その後の少年文学にも大きな影響を与えたといわれている。しかし、もともと病弱だった彼女は、夫の善治が経営に苦心した明治女学校が火事で焼失したあと、そのショックで、32歳になる前に早世したそうだ。 『小公子』といえば、私に限らず多くの女性にとって、少女時代を
2008/12/14 リンク