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父系馬鹿:新種牡馬リーディングを振り返る - 1991年その5 - livedoor Blog(ブログ)
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父系馬鹿:新種牡馬リーディングを振り返る - 1991年その5 - livedoor Blog(ブログ)
新種牡馬リーディングを振り返るシリーズ、今回は1991年のリーディング51位から最後までを紹介します。... 新種牡馬リーディングを振り返るシリーズ、今回は1991年のリーディング51位から最後までを紹介します。このあたりになると重賞勝ちすらない二流馬・三流馬が多くなり、しかもろくに産駒を残せなかったという種牡馬が多くを占めてきますね。そんな中で天皇賞馬のクシロキングがこんなところに顔を出すというのは少々寂しいものがあります。サンキョーショウリは唯一の初年度産駒が未デビューでこの順位ですが、そのユキノジェンヌが中央で連勝して注目されると、障害重賞を2勝したヒサコーボンバーを出して名を馳せました。 ハギノビジョウフは中央で走り22戦3勝。重賞勝ちはなかったが、GI阪神3歳Sでカツラギハイデンの3着があった。種牡馬として残した産駒はわずか2シーズンで2頭だけで、そのうちデビューしたのは1頭だけだったが、その唯一の産駒イットウショウは地方で5勝をあげ、荒尾ダービーでも5着に入った。 52位 アジャストメ