エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
『万引き家族』公式パンフレット解説 - 内田樹の研究室
「この映画の主題は何か?」という問いを作り手に向けることにはあまり意味がない(私が言い出したわけ... 「この映画の主題は何か?」という問いを作り手に向けることにはあまり意味がない(私が言い出したわけではない、ロラン・バルトという人が60年ほど前にそう宣告したのである)。というのは、作り手は映画を完全に統御しているわけではないからだ。映画の中には監督や脚本家が「この映画の主題は何か?」という問いかけに答えて語ったものとはあまり関係のないものが必ず写り込んでいる。それは小道具や装飾であったり、俳優のメイクや衣装であったり、通りすがりの車の車種であったり、生活騒音であったり、登場人物の役名であったりする。それらは映画の表層にあからさまに露出している。にもかかわらず、なぜそれがそこにあるのか、それでなければならないのかと改めて問われると、撮影にかかわった誰も説得力のある答えを語ることができない。 例えば、小津安二郎は画面の中にしばしば赤い薬缶を置いた。物語とは何の関係もないただの小道具である。赤い
2023/05/07 リンク