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asahi.com: 焼跡のグラフィズム 多川精一さん - 著者に会いたい - BOOK
敗戦から2カ月たった22歳の秋。ノートにようやく、こう書きつけた。 <国と国の戦争は終わった。今日... 敗戦から2カ月たった22歳の秋。ノートにようやく、こう書きつけた。 <国と国の戦争は終わった。今日からはひとりで世間との闘いが始まるのだ> 戦時中の対外宣伝誌「FRONT」を作った東方社の人々を描いた『戦争のグラフィズム』(平凡社)から17年。戦後の出版デザインを代表する一人が、自らの仕事と出版史をたどる3部作の2作目だ。 日米開戦直後、東方社に入社した。統制が進み、紙や絵の具も乏しかったが、同社は陸軍参謀本部傘下で対外宣伝を担っていたため、あまり制約を受けなかった。 「その技術は世界に誇れるものだ」と言う。上司のグラフィックデザイナー原弘や写真家・木村伊兵衛から学んだのは、「写真で何かを主張する」グラフィズムの思想だった。戦後、写真家の名取洋之助が創刊した「週刊サンニュース」を経て、「月刊太陽」や「るるぶ」などの雑誌や書籍のデザインを手がけていく原点だ。 「東方社のもう一つの功績は、虎穴
2008/06/20 リンク