エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
続・なぜ日本人はかくも幼稚になったのか – 福田 和也 (書評・レビュー・感想)
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
続・なぜ日本人はかくも幼稚になったのか – 福田 和也 (書評・レビュー・感想)
ここ最近の日本の子供の教育というと、「個性をのばそう」とか「個性豊かな教育」とかいった文句を、繰... ここ最近の日本の子供の教育というと、「個性をのばそう」とか「個性豊かな教育」とかいった文句を、繰り返し唱えてきた。これは、大きな勘違いだったのではないかと思います。「個性を伸ばす」「個性を育てる」という発想の根本には、「子供、あるいは、人間は、もともと個性なるものをもっている」「個別の性格なり、才能なりといったものは、誰もが生まれながらに持っている」という考えがあるということを無条件に受け入れてきた。これは、とんでもない間違いだと思います。 若い人に多くみられる考え方が、「いつまでも、自分が、何かきわめて大きな可能性を秘めていて、いくらでも人生の展望が開ける」などと思っている人が多い。しかし、「人間の可能性は無限ではない。それは逆にとても限られたものだ」と申し上げています。ところが、世間や学校では逆のことが教えられています。 前回のつづき。 今回は、日本人の教育というのが大きなポイント。エ