エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
Air du Temps
金曜日・・・生政治あるいはバイオメトリック かつて多くの哲学者が「国家論」を書いていた時代があった... 金曜日・・・生政治あるいはバイオメトリック かつて多くの哲学者が「国家論」を書いていた時代があった。現代の課題は、国家などは乗り越えられるべきものとはいえ、何もこれらを読まずに済まそうというわけではない。これからも読まれるべきである。とはいえ、今日的なコンテクストのなかで、どのように読むか、つまりどのように活用するかが問題になる。別にひとつの理想国家を考えたり、ましてやそういった国家を実現するための手段を練るためではないだろう。これについては、近代の哲学者らがなぜ国家論などを書く必要があったのか、彼らの意向を汲み取ってみる必要がある。そもそも彼らの国家論というものは、当時権威的であった教会を批判するために書かれ、教会権力によって支配され管理されるのとは、異なる生き方や、現実とは異なる新たな共存システムを考案するためだと思われる。ここでも左翼的なものを発見することが重要となるだろう。言うなれ