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天皇制と闘うとはどういうことか(6)/菅孝行(評論家) 第六回 象徴天皇制―権力・霊性・日本資本制 – 月刊コモンズ
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(前号からの続き) 特別連載】天皇制と闘うとはどういうことか 第六回 Ⅵ.象徴天皇制―権力・霊性・日本... (前号からの続き) 特別連載】天皇制と闘うとはどういうことか 第六回 Ⅵ.象徴天皇制―権力・霊性・日本資本制 菅孝行(評論家、変革のアソシエ運営委委員) 明治国家の「神権」 明治維新の権力が当初目指した祭政一致国家の権威の性格は、宗教的神権と政治の主権が一体化した、古代律令国家の権威の復古であった。しかし、維新権力は教派神道や仏教諸宗派の抵抗、及び祭政一致を野蛮と見なす国際世論への配慮から、これを思い止まらざるを得なかった。神権天皇制の権威は、「迂回路」を辿って欽定憲法体制の確立により漸く成就される。 明治憲法の規定する「神権」への信仰は、宗教一般への信仰と区別された「臣民」の義務とされ、教育勅語や修身教科書によって「小国民」に刷り込まれた。天皇は支配層にとっては制限君主であったが、大衆は現人神として崇敬した。この天皇信仰は、奉安殿の火事でご真影が焼けた責任を取って自殺する校長が続出するな