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生きているのに、勝ちも負けもあったものか - 試作型思索と詩作
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生きているのに、勝ちも負けもあったものか - 試作型思索と詩作
雑感どうも最近は、勝ち組、負け組とかマッチョにウィンプと、そういう話題が盛り上がっているけれど、... 雑感どうも最近は、勝ち組、負け組とかマッチョにウィンプと、そういう話題が盛り上がっているけれど、自分はそういう話題を見ると不思議に思うことがある。それは「勝ちと負けにはそんなに絶望的な差が存在しているのか」ということ。負けてばかりの底辺フリーターな自分がこんなことを言っても全く説得力がないが、「勝ち、負け、というのは実はただの選択肢に過ぎなくて、等価なものなのではないか」なんて思うことがある。勝ちであれ、負けであれ、その結果が最終的に良いものをもたらすのか、悪いものをもたらすのかの判断なんて誰にも出来ない。*1絶対的な勝利、絶対的な敗北、そういうものを目にすることって今の世の中ではあまりない気がする。*2実は、みんなそれが分かっているから、勝ち、負け、に安易に二分したがるのかな、なんて思う。ゲームやスポーツのように、明確に勝ち負けの分かるものが、娯楽として消費されるし、フィクションの世界で