エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
「俺を檻に戻せ」という悲劇 - 試作型思索と詩作
性「女性」に閉じ込められて苦しんだ事のある人が、男性を「男性」に閉じ込めようとするのはどうなの、... 性「女性」に閉じ込められて苦しんだ事のある人が、男性を「男性」に閉じ込めようとするのはどうなの、と思ってしまうことがあるのだが… 現実にある男女の非対称な状況にカウンターしようとすれば、その言葉はセクシズムに受け取られるようなものになるのも仕方ないと思う。もっとも、それをセクシズムと勝手に受け取り混乱し、傷つく人は「健常な男性」というマッチョイズムに閉じ込められる事に傷ついた男性だけれど。マッチポンプはやめろ、というカウンターを冷静にそう読めないのは「たましい」の問題で、「あたまがわるい」からだろうか。いや、たぶん、そのとおりだろう。「健常な男性であれ」という社会の要請に応える事は「たましい」を傷つけ、「あたまをわるく」することだからだ。 現実にある抑圧の非対称性を考えたとき、「男性であれ」という檻に入れられて傷ついた者は、ある程度、自分でどうにかしないといけなくなってくる。「俺を檻に戻せ
2009/12/08 リンク