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〈「どこかに行かなければならない」という強迫観念にとらわれることなく、ただその場で運動しつづけることのうちに純粋な喜びを感じ、そこに思考という営みの本質を見ていた〉、かれら。 - 大漁、異漁。
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〈「どこかに行かなければならない」という強迫観念にとらわれることなく、ただその場で運動しつづけることのうちに純粋な喜びを感じ、そこに思考という営みの本質を見ていた〉、かれら。 - 大漁、異漁。
ロラン・バルトの『サド、フーリエ、ロヨラ』が好きなので、その流れを汲んだ石井洋二郎『フランス的思... ロラン・バルトの『サド、フーリエ、ロヨラ』が好きなので、その流れを汲んだ石井洋二郎『フランス的思考―野生の思考者たちの系譜 (中公新書)』がかわいくて仕方ない。“野生の思考者”として並べられるのはマルキ・ド・サド、シャルル・フーリエ、アルチュール・ランボー、アンドレ・ブルトン、ジョルジュ・バタイユ、ロラン・バルト。 サドのおもしろいところは〈弱者の盗みが悪でないというだけでなく、その前提となっている強者の盗みもまた罪でも不正でもないという〉〈すべてが「自然」へと還元される〉暴力にある。《だからわれわれは、けっしてやましいなどと思わずに、弱者からできるだけ盗もうではないか。(……)貧者から盗み、孤児の身ぐるみを剥ぎ、寡婦の財産を横取りしたりしても、人は自然から受け取った権利を行使しているにすぎない》……ここには、スウィフトやジェイムズ・ジョイス、オスカー・ワイルドのようなアイルランド(孤島)