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メモ〜三十八度線と日本 - heuristic ways
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メモ〜三十八度線と日本 - heuristic ways
吉野誠『東アジア史のなかの日本と朝鮮――古代から近代まで』の最後のほうに、今日の朝鮮半島分断の境界... 吉野誠『東アジア史のなかの日本と朝鮮――古代から近代まで』の最後のほうに、今日の朝鮮半島分断の境界線である三十八度線が、「歴史的には日本による植民地支配の直接的な産物である」という指摘があり、ちょっと吃驚したのでメモしておく。 朝鮮の解放がはじめて連合国側の公式の戦争目的のひとつに掲げられたのは、一九四三年一一月のカイロ宣言でした。ただし、太平洋戦争が日米両国によるアジア・太平洋地域の征服戦争というべきものであった以上、「適切なる手順を経た」うえでの「独立」という文言には、日本を退けたあとのアメリカの野望がこめられていたと見なければなりません。アメリカが一貫して追求したのは、共同占領を経ての国際的な共同統治構想で、四五年二月のヤルタ会談では、朝鮮について中国・ソ連・イギリスにアメリカを加えた四者による信託統治の構想が提起されます。 原爆投下とソ連参戦、関東軍の予想外の総崩れによるソ連軍の急