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コモンズと能力 - heuristic ways
以前デュルケムの『自殺論』(原著1897年)を読んだとき刺激を受けたのは、芸術・道徳・宗教・政治的信... 以前デュルケムの『自殺論』(原著1897年)を読んだとき刺激を受けたのは、芸術・道徳・宗教・政治的信念・科学などの「超肉体的な」(肉体の要求からかけ離れた)人間活動の高度な形態は「集合的な起源」をもっているということ、「というよりはむしろ、この高度な形態が、われわれ各人に体現され、個人化されている社会そのものなのだ」という指摘だった。 …つまり、そもそもの初めから、個人の中には「社会」(集合的な力)が埋め込まれている。あるいは社会とは、個人を巻き込み、個人をこえて運動する「集合的生命」の流れのようなものである。 デュルケムは、「社会は物的な事実をもふくんでいて、しかもその物的な事実が、共同生活のなかである本質的な役割をはたしている」と言っているが、デュルケムがこの「物的な事実」の例として、「家屋やあらゆる種類の建築物」、「交通・運輸路」、「道具や機械」、そして「書き言葉」などを挙げているの
2010/10/05 リンク