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勉強量の主観−「勉強してない」を考えてみた - Tender Apricot in Hatena
「私全然勉強してないんだ〜」というセリフほど信じられないものだと伝え聞くが(何処から?)、言った... 「私全然勉強してないんだ〜」というセリフほど信じられないものだと伝え聞くが(何処から?)、言った側は本当にそう思っているのではないか。 何故私がこんなことを思ったのかと言えば、私自身成績は良いほうなのだが(決して自慢ではない)何をすれども勉強に満足した覚えがない。(無理やり終わらせた場合は除く)何度勉強をしても、他の人に追いつかれるのではないか、見落とした単語があったのではないか、と不安に思い勉強した気にはなれない。例えとして出した私のほうから見れば、私は自分の勉強量に満足できていないのだから多少強調の意味をこめて「あまり勉強していない」と言うのは自然である。ただ、あまり勉強していなかった人がその人を見て「勉強してないなんて嘘では…」と思うのも、また自然なことだ。その人から見れば、私は勉強を「あまりしてない」はずであり、テストなどで高得点をたたき出すのは不可解に思えるのだ。ここで言えるのは
2006/04/22 リンク