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【まいんど】殺害の根源的理由は不明/オウム・杉本繁郎受刑者(4)=藤田庄市
富田事件が起こされた第2サティアン跡に建てられた慰霊碑。ただし由来はなく何の碑かはわからない(1999... 富田事件が起こされた第2サティアン跡に建てられた慰霊碑。ただし由来はなく何の碑かはわからない(1999年7月、撮影・藤田庄市) (前回からの続き)麻原への疑念とそれを抑え込む信仰心。なんとか心の平衡を保っていた杉本だったが、遂にポアすなわち人の命を殺めてしまう犯罪に手を染めてしまう。1994年1月の落田氏集団リンチ殺害事件と7月の冨田氏リンチ殺害事件、そして95年3月の地下鉄サリン事件である。わけても杉本が直接に手を下した冨田事件を中心に追ってゆく。 ■新実智光の言葉が始まりだった 当時、オウムは麻原のハルマゲドン=人類最終戦争の「妄想」に共振し、コアは武装化路線を突っ走っていた。麻原は陰謀論にもとづき、自分たちが毒ガス攻撃に曝され、スパイが暗躍していると説法でくり返し語った。冨田事件は94年7月上旬、松本サリン事件の十数日後に起こされた。出家信徒の冨田をスパイとして麻原の指示のもと、杉本
2012/01/19 リンク