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知の巨人たちが取り組んでいる問題はこれだ『いま世界の哲学者が考えていること』
やり方が分かっているものは、哲学に向いていない。森羅万象の問題のうち、やり方どころか、そもそも「... やり方が分かっているものは、哲学に向いていない。森羅万象の問題のうち、やり方どころか、そもそも「問題」とすら認識されていないところから始まるのが哲学である。もしくは、問題の背景や根本領域からメタに捉え直し、やり方そのものを生み出すのが哲学である。 だから、哲学に取り組むことで、視野は拡張され、思考ツールが集まり、なによりも「問題」そのものを疑う目が養われる。 たとえば、与件を「物理学の問題」や「経済学の問題」に落とすならば、物理学や経済学の「やり方」で考えるしかない。それは一定の成果を生む一方、それぞれの「学」の前提から離れることはできない。 しかし、哲学なら、それぞれの学問領域の成果に加え、「問題」そのものを疑い、再定義することで、さらに深く・広く考えることができる。「〇〇とは何か」をその学問領域に囚われずに追求し、「〇〇からもたらされるものは、結局なんなのか」を新しい目で評価することが
2016/11/17 リンク