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「哲学に答えは無い」という誤答
「哲学に答えは無い」という発言を目にする。 哲学者は、何千年も似たような問答を繰り返し、さまざまな... 「哲学に答えは無い」という発言を目にする。 哲学者は、何千年も似たような問答を繰り返し、さまざまな理論を打ち立ててきた。だが、完全無欠の真実にたどり着いた理論もないし、完璧に誤りであると否定される理論もない、という主張だ。わたしもそう考えたことがある。しかし、哲学するようになって、この主張は浅く、一面的であることが分かった。 わたしたちは、様々な問題に向き合うが、以下のような問題は、哲学の範疇外になる。 調べれば分かること(すでに誰かが解いた問題) 人・カネ・時間など、リソースがあれば解ける問題 今までのやり方で解けそうな問題 しかし、調べれば分かることでも、分かったことで見解や評価が対立する場合がある。または、調べ方が分かっていることでも、「それは本当なのか」と疑わしい点が出てくることがある。さらに、今までのやり方では行き詰まり、そもそも、その問いの立て方は正しいのか? と問題の定義に疑