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道: 哲学を「人生論」と「宗教論」とから隔てること
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道: 哲学を「人生論」と「宗教論」とから隔てること
ドイツにいることの長所は、ドイツ語の新刊書を読めることである。日本にいないことの難点は、日本人が... ドイツにいることの長所は、ドイツ語の新刊書を読めることである。日本にいないことの難点は、日本人が書いた新刊書を読めないことである。せいぜいインターネット上で新刊本の内容をチェックするのが精一杯である。 さて、私は以前から永井均のものには特に着目していたが、どうやら彼はここ最近、「転向」したように見受けられる。もちろん私は彼の最近の著作を読んでいない。すべてはインターネット上に流れている情報をもとに、自分の意見を形成しているだけである。 先に「転向」と言ったが、私は永井均の哲学に対する態度が文字通り「転じて」これまでとは違う方角へ「向かって」いるように思われて仕方が無い。 永井均はこれまで、ヴィトゲンシュタインに倣い、「語りうる」ものと「語りえない」ものに対する嗅覚を鋭くし、なおかつ、この区分けにかなり厳密であったように思われる。そうして彼は己の仕事を「語りうる」ものに限定したのではなかろう