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道: 国語改良運動
先日、あるドイツ人女性とお話しをした。彼女はフェミニズム論者である。さて、この会話から一つだけ関... 先日、あるドイツ人女性とお話しをした。彼女はフェミニズム論者である。さて、この会話から一つだけ関心を引いたテーマがあった。それはフェミニズム的観点から見た、ドイツ語改良運動であった。ご存知の通り、ドイツ語の冠詞類には、男性、女性、中性、複数の区別があるが、彼女曰く、「男女の区別なく人間一般を現わすものに、どうしてこうも男性名詞が多いのか、これを改良していかねばならぬ」ということである。 例えばMensch(人間)。これは男性名詞なので、冠詞は男性名詞derを使うことになっている。従って、der Menschとなる。しかし、彼女によれば、人間には女性も含まれているから、従って、中性冠詞で次のようにあらわすのが好ましいということである――das Mensch。 これはかなり無理がある。これは――ドイツ語の破壊である。このような無理をするくらいなら、せめて別の言い方にすればよいのでは。例えば、d