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坂のある非風景 東京旅行記 #1
楽しさが私とともにいる誰かの楽しさであり、そしてその人の楽しさが私の楽しさであること、これが対幻... 楽しさが私とともにいる誰かの楽しさであり、そしてその人の楽しさが私の楽しさであること、これが対幻想の根拠のように思える。私の妻は、楽しかったかどうかは、そのあとの自分の体調に訊けばいいという考えを持っていた。それ以外のなにか(たとえば言葉による反省)が、自分の過去に届くことを信じなかったというより、たぶん届かなかったのである。 言葉(反省)によって作り出す嘘が私たちの過去を再生産するが、それを真実とみる歴史しか描けないなら、それは救済のためである。では体調(反省)が嘘を吐かないとしてそこに描かれるかもしれない反-歴史といったものは、なにを意味するだろうか。たぶん満足への永遠の希求、進まない歴史だった。 作家はどこかで無意識で書いている。である以上、その部分では彼は自分が何を書いたのか知ることはできない。自分で気づかずに書いてしまったものも確実に読者に届く。そして読者も、自分に何が届いたのか
2009/09/23 リンク