エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
柳ヶ瀬隧道
北陸本線・長浜~敦賀港間は東海道本線の支線という形で明治17(1884)年に全通している。 県境区間のル... 北陸本線・長浜~敦賀港間は東海道本線の支線という形で明治17(1884)年に全通している。 県境区間のルート選定については現在線である塩津越も含めたいくつかの案があり、 予算の都合から柳ヶ瀬越が採用されたようであるが、 それでも県境の柳ヶ瀬隧道は延長1352.0mあり、当時の鉄道隧道としては日本最長であった。 しかし、日本鉄道初期に建設されたこの区間は敦賀から雁ヶ谷まで延々と続く片勾配(25‰)のため、 蒸気機関車は隧道内でも立ち往生することがあり、窒息事故なども度々起こったようである。 昭和に入って勾配緩和のため深坂峠経由の新線建設が決定。 経済不況、戦争による幾度かの中断を経て昭和32年に開通した。 柳ヶ瀬越の旧線は柳ヶ瀬線として存続したものの、 業績振るわず「日本一の赤字線」とまで呼ばれる有様であり、7年後の昭和39年に全線廃止された。