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いつかのあの日の日記クボケンジ詩集 のはなし
Day:2014.01.10 03:09 Cat:メレンゲのはなし クボケンジが紡いだ9編の詩。 なんだか、踏み込めなくて、... Day:2014.01.10 03:09 Cat:メレンゲのはなし クボケンジが紡いだ9編の詩。 なんだか、踏み込めなくて、手つかずのままになってたけど。 やっとじっくり読みました。 そして、わかったことがありました。 クボケンジには、言葉だけじゃ、確実に何かが足りない。そこにはやっぱり、メロディが、音が必要不可欠だということ。決して、詩として成立しないとか、批判するわけじゃなく。これだけじゃ、クボケンジの歌詞にはなり切れないんだということで。1つの歌ができるまでに、原型に、何度も何度も手を加え、悩んだ末に完成形に持っていってるってことなんだろうなって思った。これが、何の服も飾りも身につけてない裸の言葉だというなら。ちゃんと服を来て、帽子をかぶって、歌となって届けられてた、メレンゲの歌詞としての言葉に、これまで、惹かれてきたのかなあ。 だって、そりゃ当然だ。クボケンジは詩人じゃないものね。