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The Red Diptych 奇書探訪(4)――武田泰淳『司馬遷――史記の世界』
既に結構前のことにはなるが、たしか「週刊読書人」か「図書新聞」で柄谷行人のインタヴューを読んでい... 既に結構前のことにはなるが、たしか「週刊読書人」か「図書新聞」で柄谷行人のインタヴューを読んでいて、呆然としてしまったことがある。柄谷が、武田泰淳の『司馬遷――史記の世界』を評して、「実存主義的である」というようなことを言っていたのである。 なぜこれに呆れたのかというと、他ならぬ柄谷自身が、同じ書物を評して「構造主義的である」と評していたからだ(『終焉をめぐって』所収の「歴史と他者――武田泰淳」を参照。また、『差異としての場所』所収の「仏教についてーー武田泰淳」でも似た趣旨の論旨が展開されている)。 また柄谷の放言か! などと思ったのだが、よくよく考えてみれば、これに関しては違うのである。 普通に考えてみれば、ある一つの書物が、実存主義的であるのと同時に構造主義的であるなどということはありえない。にもかかわらず、武田泰淳の『司馬遷――史記の世界』という書物は、確かに、ある側面を切り出
2014/07/10 リンク