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どんな神様と向き合うかは自分次第 - 伊勢ー白山 道
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どんな神様と向き合うかは自分次第 - 伊勢ー白山 道
神には人間的な善悪はなく、その両面の要素を超えたところに神の本性があります。 要は人間側が、「神様... 神には人間的な善悪はなく、その両面の要素を超えたところに神の本性があります。 要は人間側が、「神様のどの面を見ようとするのか次第」であり、それにより神は自在に、この世での表れが「変わる」のです。 だから現実界において、どのような神様を引き出すのかは人間側に責任がありますし、個人にも日々起こっていることなのです。 これは、神霊を勧請(かんじょう:神仏をお呼びすること)する時の、忘れてはいけない視点なのです。 悲しい気持ち、怒り、攻撃、個人欲の気持ちを持って参拝をしますと、その時に寄る神気は、同種類の邪気です。 感謝の気持ちで参拝をすれば、感謝をしたく成るような有り難い神気が寄ります。 同じ場所でも、私たちを照らす鏡のように神気は瞬間で変わります。変幻自在です。イニシアチブ(主導権)は、参拝者にあります。 これが、観世音菩薩の御顔が11面(無限の顔を持つ意味)である訳でもあります。 「あなたは