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文官・近世宇夫方氏 - 「じぇんごたれ」遠野徒然草
遠野市内の宇夫方姓をみると、約10数軒確認できるが、その多くは遠野市綾織町にみられる。 近年、阿曾... 遠野市内の宇夫方姓をみると、約10数軒確認できるが、その多くは遠野市綾織町にみられる。 近年、阿曾沼時代を扱った資料のひとつ「宇夫方家譜」を所蔵していたのは、土淵町内の宇夫方氏であるのが注目されますが、土淵町の宇夫方氏が嫡流、宗家とも推測されますが、私自身研究調査に携わっておりませんので、仔細は今のところ不明としておきます。 中世宇夫方氏の主館・谷地館跡(2007年3月の画像) 館としての痕跡は探し出すことは叶わないが、その昔、宇夫方一族の館があった謂れを示す石碑と神社が当時を偲ばせている。 さて、宇夫方氏は鎌倉時代、遠野郷を源頼朝から賜った際に、主家に代わって代官として遠野へ下向したと伝えられている。 以来、200年にわたり遠野代官職の家として栄え、主に下郷方面(綾織・小友)の盟主として君臨していたと伝えられる。 主家や分家鱒沢氏が台頭する時代、戦国初期辺りからその力も陰りがみえはじめ、