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勇気なき知力は知性の名に値しない - 研究生活の覚書
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勇気なき知力は知性の名に値しない - 研究生活の覚書
大学院の演習で、「右派的言説」がなぜ政治の舞台に現れ、現実に高学歴層からも支持を得るのかをドイツ... 大学院の演習で、「右派的言説」がなぜ政治の舞台に現れ、現実に高学歴層からも支持を得るのかをドイツ史のテキストを題材に話し合った。 色々な意見が出たが、結局のところ、雇用の不安定、生活の困窮、将来の見えなさ、孤独などで社会不安が増大し、 それに対して、帰属意識を提供する言説が支持を得るのは当然ではないかという意見が多数を占めた。 ここまでは特段の文献に当たらなくても、類推できることなんだけど、問題はなぜ民主主義国家において、つまり多数者より選ばれた代表が集まる議会が それを解決できないのかという「不思議」に行き当たった。 それで僕は、僕のアメリカ史の知見によれば、議会制民主主義というのは、そもそもが多数者の暴走を防ぐシステムとして構築されたのであり、 社会問題を直ちに解決するのを防ぐことを目的に制度設計されてはいないことを説明した。 民衆の意思は気まぐれである。 朝考えていることと、その日の