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「全日本プロレスに就職します」 “サラリーマンレスラー”と揶揄されたジャンボ鶴田が切り開いた人生…貼られたレッテルと“非凡さ”(堀江ガンツ)
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「全日本プロレスに就職します」 “サラリーマンレスラー”と揶揄されたジャンボ鶴田が切り開いた人生…貼られたレッテルと“非凡さ”(堀江ガンツ)
全日本プロレスで「完全無欠のエース」と呼ばれたジャンボ鶴田が、2000年5月に49歳の若さで亡くなって早... 全日本プロレスで「完全無欠のエース」と呼ばれたジャンボ鶴田が、2000年5月に49歳の若さで亡くなって早22年。5月31日に後楽園ホールで「ジャンボ鶴田23回忌追善興行」が開催される。 今でこそ「歴代最強の日本人プロレスラーの一人」との評価が確定している鶴田だが、生前はなかなか正当な評価が得られないレスラーでもあった。 ジャンボ鶴田こと鶴田友美は、ミュンヘンオリンピックのグレコローマンレスリング日本代表の肩書きを引っさげ、中央大学卒業を控えた1972年10月に、ジャイアント馬場率いる全日本プロレスへの入団を発表。その会見で「全日本プロレスに就職します」という有名なコメントを残している。プロレス界に似つかわしくない「就職」という言葉は、大学出のアスリートである新しいタイプのレスラー鶴田を象徴するものだったが、長らくこれが足かせとなった。 “サラリーマンレスラー”と揶揄された鶴田の真の姿 昭和