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「冥福を祈る」の使われ方
「冥福」は厳密な仏教用語ではありません。 まず仏教語で多くの人が勘違いされることが、仏典をインド語... 「冥福」は厳密な仏教用語ではありません。 まず仏教語で多くの人が勘違いされることが、仏典をインド語から漢語に翻訳する際に、仏教とは本来異なる概念の言葉をもって、漢訳されることが多くあります。そのような漢訳経典が日本に伝わっているのです。例えばインド語で、パドマ・ウッパラ・クムダ・フンダリキャなどとそれぞれ区別される花は、漢訳経典ではすべて「蓮華」と訳されます。しかし厳密にはパドマはスイレン(ヒツジグサ)であり、フンダリキャはハスです。このように翻訳には混乱が生じやすいということをご承知おきください。 「冥福」は、死後の幸福を意味する単語で、北魏(南北朝時代)の正史である『魏書』「崔挺伝」に「八関斉を起こし、冥福を追奉す」とみえます。また弘法大師の青年期の書である『三教指帰』にも「冥福を廻らす」とあるので、日本でもかなり早い時期にこの単語が用いられていたでしょう。特に日本では、仏典とともに漢
2007/02/05 リンク