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NHK大河ドラマの"ねね"は史実に近い…対等なパートナーとして秀吉に意見した「共同統治者」の存在感 秀吉は手紙で正室のねねに戦況も報告していた
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NHK大河ドラマの"ねね"は史実に近い…対等なパートナーとして秀吉に意見した「共同統治者」の存在感 秀吉は手紙で正室のねねに戦況も報告していた
夫の関白就任と同時に北政所となり社会的地位を確立 小牧・長久手の戦いが終結した後、秀吉は天皇家の関... 夫の関白就任と同時に北政所となり社会的地位を確立 小牧・長久手の戦いが終結した後、秀吉は天皇家の関白、つまり天皇を補佐した行政の権利を持つ官職につきます。秀吉は将軍職への着任は辞退したのですが、どうして征夷大将軍にならなかったのでしょうか。 理由はいくつかありそうですが、妻のねねにとっては夫が関白になることは、将軍になることよりも有難い選択でした。実は、秀吉が関白になることにより得をするのは、秀吉の妻ねねなのです。なぜならば、秀吉の関白就任とともにねねは「北政所」という摂関家の正室の呼称が与えられ、同時に、従3位という極めて高い官位を得ることができます。2人とも、もともとは低い身分で、由緒ある家系の出身ではありません。ところが秀吉が関白になると、ねねの社会的地位も公家となり目に見える形で確立されていくのです。 秀吉が関白になり、ねねが北政所の称号で知られるようになった1585(天正13)年