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宗教勢力を飼い慣らすにはどうすべきか…信長や秀吉が手を焼いた懸案を、あっさり解決した家康のアイデア だから日本人は「うちは○○宗」と言うようになった
神官の一族につながる信長の家系 室町幕府は、有力守護大名の連合政権でした。足利将軍家の後継者争いが... 神官の一族につながる信長の家系 室町幕府は、有力守護大名の連合政権でした。足利将軍家の後継者争いが、守護大名の覇権争いと結びついた応仁の乱によって京都は焼け野原となり、幕府は事実上崩壊して戦国時代に突入します。 そんな折、ポルトガル人が伝えた鉄砲の量産に着手したのが、尾張(愛知県)の戦国大名・織田信長でした。 織田家の遠い祖先は、忌部いんべ氏という神官の一族です。今川義元を奇襲攻撃して義元のクビを取った桶狭間の戦いの際、地元の熱田あつた神宮じんぐうで必勝祈願をしていることから、信長が無神論者ではなかったことがわかります。戦乱で荒れ果てた御所を再建したのも、天皇に対する敬意からだったのでしょう。 「天下布武」を掲げて京都に入り、室町幕府を滅ぼした信長に対し、西の毛利氏、石山本願寺、北の浅井あざい氏・朝倉氏、比叡山延暦寺が包囲網を敷きました。その突破口として信長が断行したのが、悪名高い延暦寺焼
2023/10/30 リンク