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『溺れるナイフ』は究極の少女マンガ映画だーー山戸結希監督、文法を逸脱した映像表現の力
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『溺れるナイフ』は究極の少女マンガ映画だーー山戸結希監督、文法を逸脱した映像表現の力
画面からパッションが溢れてくる。色彩が躍動している。久しぶりに、映画を観て脳天から痺れまくる感覚... 画面からパッションが溢れてくる。色彩が躍動している。久しぶりに、映画を観て脳天から痺れまくる感覚を味わってしまった。あまりに鮮烈な『溺れるナイフ』は、映像を観る喜びと、ヒリヒリとした現実に向き合う感覚を思い出させてくれる。 平成元年生まれでまだ二十代の、大学では哲学科出身だという山戸結希は、個性と才能の詰まった映画監督だ。「映画は映像の芸術なので、セリフに頼ってはならない」とよく言われるが、山戸監督の過去作『おとぎ話みたい』は、全体が少女による、ときに難解なナレーションや、演劇風の独白で構成される。だが、それが作品をダメにすることはなく、逆に、だからこそグイグイと一人の少女の内面に引きずり込まれていく。そしてその原動力となっているのが、作品を貫く強い映像の「印象」と、常にテーマに向き合い続ける強い「意志」である。 本作『溺れるナイフ』では、田舎の海岸で少女と少年が出会う場面で、ペン画のよう